Silent Night




痛みが麻痺して、じん、としびれる右腕と。

引かれる、左腕。


さっきまで間近に聞こえた銃声も、今は遠く響く。

「こっちだ」
声に促されるままに足を踏み入れたのは、おそらく住居だったはずの、
今は瓦礫に閉ざされた建物。

こんなの、普通だったら不法侵入だ。
でも、戦いに傷ついた瓦礫の町には、そんな言葉は意味を成さない。
それぐらい、世界は壊れているのだと実感する。



「バカ、休んでろよ」

突っ立ったままでいた私に、かかる声。

見ると、どこから持ってきたのか救急箱を抱えた忍の姿が目に入った。

「そんなの、どっから拾ってきたのよ」
「ちょっとあっちの棚から失礼したのさ」
「不法侵入に空き巣とはね…」
「しょうがねぇだろ」

座り込んで救急箱の中をごそごそとかき回す忍につられて、
私もその場に腰を下ろす。

「腕、出せよ」

くいと顎で示された、右腕。
裂けた布地を赤く染めるのは、さっきの銃撃で受けた傷。

「じっ…自分でするわよ」
忍が手にした消毒液をひったくろうとした指は、軽く交わされ、

「利き腕だろ?」
「…」

大人しく、差し出すことにした。



戦いの激化に伴って、日に日に増える出撃要請。

疲労もピークに達していた中の、夜間の作戦で、
集中力が欠けたのか、普段ならしないようなミスを犯した。

幸い、仲間の援護で戦局には影響なく、傷も、銃弾がかすった程度。
大したことはなかったけど、

「…ドジ踏んだもんだね…」
消毒液に洗われてあらわになる傷口は、直視するには耐えなくて、
私は視線を室内に巡らせた。

人が住んでいた…なんて、想像もできないぐらいに荒れ果てた部屋は、
それでも、床に散乱する雑誌や食器なんかに、その面影を残していた。


ふと、きらりと光る何かに目が留まる。

よく見るとそこかしこに散らばるそれは、何かの飾りのようで、
その正体は、目を走らせるとすぐにわかった。

「クリスマス…ツリー…」
「え?あぁ」

私の声に、忍も手を止めてそちらを見る。


クリスマスツリーだった、と言ったほうがいいのかもしれない。
正確には。

木はすっかりなぎ倒されて、崩れた壁の下敷きになり、
そこに飾られていたであろうオーナメントは、
無残にも床にばらまかれている。

「そういや、12月だもんな…」

思い出したように呟く忍と同じ、
私も、今の今までそんなこと、頭の片隅にもなかった。


プレゼントを心待ちにしてた子どもの頃なんて、もう遠い過去のこと。

それでも、毎年やってくるそれは、心躍るイベントには変わりなくて。
士官学校時代は、仲間たちとそれなりに盛り上がったり、


あの人と2人、過ごしたこともあった。


甘い思い出。苦い思い出。

でも、そのどれも、今は叶わない。


もしかしたら、もう、二度と。


本来なら心を賑わす、赤や緑のクリスマスカラーたち。
それらが放つきらきらとした光が、この暗い世界ではひどく悲しくて。

「…っ…」

思わず息を詰めて、うつむいた。

「あ、悪ぃ。痛かったか?」
顔を覗き込まれて、ふるふると首を横に振る。

「ごめん…違う…」
「…なら、いいんだけどよ。…と、終わったぜ」

ぽん、と肩をたたかれて、見ると、服の上からぐるぐると巻かれた包帯。

応急処置だけど、きちんと縛られているそれを、
「うまいもんだろ?」
見つめていると、得意げに微笑む忍。
「ま、上出来じゃない?」
言いながら、その手に引かれて立ち上がる。

傷の痛みは少し引いて、その代わりにずきりと痛い心。


今は見る影もないクリスマスツリーは。
どんな願いとともに、飾られたのだろう。


「…外、静かになったな…。亮と雅人が大方片付けちまったのかな」
割れた窓の隙間から外の様子を窺う横顔に、

「ねぇ…」
思わず問いかける。


「クリスマスを祝える日なんて…私たちにはもう、来ないのかな…?」


横顔は、ゆっくりと振り向いて、
一瞬、驚いた表情を見せる。

自分でも、わかってる。
私らしくもない、弱気な言葉をこぼしてること。

だから、沈黙を待てずに、目を伏せて。

「…なんてね」
自嘲気味に、肩をすくめた。

無意識に手をやる右手の包帯。
弱気になったのは、きっと傷のせい…


でも。


「沙羅」

突然呼ばれた名前とともに、

「ほら、落とすなよ?」
「えっ?」

投げてよこされたのは。


手のひらの中。微笑んだ天使。

土に汚れて、輝きを失いかけているそれは、
さっきまで、床に散らばっていた飾りの1つ。


「これ…は…?」
「クリスマスプレゼント。…たぶん、早いけど」

顔を上げるとこちらを見ていた視線は、再びぷいっと窓の外に投げられて、

「…悪ぃな、今はそれぐらいしかやれるもんがねぇけどよ。
来年は…ちゃんとしたのやるからさ」

照れたように髪を触る仕草。


もしかしたら。

弱気になったのは、目の前の仲間を。
子どもだとばかり思っていた忍のことを。


―――――ふと、頼もしく感じたから?



「…行くか」
「あ…」

黙ったままでいたら、ぐいっと腕を引かれる。

相変わらず、目は合わさない。
私も、うつむいたまま。

でも、どうしても1つだけ、聞きたいことがあったから、
歩調はそのままに、ポツリと尋ねてみる。

「忍…さっき…『来年』って…言った?」

すると返ってきた答えは、

「あぁ。だから、それまでに絶対ケリをつけてやる」

潔い決意。
気休めなんて言えるタイプじゃないから、信じられる言葉。


やっぱり。
甘えてみたくなったのかもしれない。

このまっすぐな瞳。戦いの中、確実に大人になった横顔に。



外は思ったよりも冷え込んで、
いつの間にか夜が更けてきていることに気づく。

まるで冷えた空気に音を吸い取られたような、静かな夜。


力強い腕に引かれながら。

手のひらの天使、寒さから守るように。



そっと、握り締めた。




2008.12.15

2008年クリスマスSSです。

今回は前後編でお送りする予定です。どうかお付き合いくださいませv