夕暮れの、滑走路。
今日最後の飛行訓練を終えた訓練生たちが、ばらばらと引き返してくる。
「スライ、お前で最後か?」
提出された戦闘データのファイルをまとめながら、少し遅れて戻った金髪の少年、スライに声をかける。
「あ、いや…その…」
スライは、俺の質問にもごもごと口ごもりながら、はるか彼方の空に視線を投げた。
その先を追うと。
練習機とは違う、でもすっかり見慣れた機体。
悠々と、オレンジ色の空を舞う。
「またあいつか…」
俺は空を仰いだまま、短く息を吐いた。
2.
忍は、あれから何事もなかったかのように訓練をこなしてはいたが、
時々こんなふうに、一人イーグルを駆り出しては飛び回っていた。
もちろん、私用で獣戦機を持ち出すことは軍規違反だが、今回ばかりは誰も咎める者はいなかった。
獣戦機隊が、解散の命を受けてから数週間。
正式な引継ぎの日まで、もうあまり間はない。
「教官…」
ふいに、スライが口を開いた。
「ホントに…ホントにこれでいいんですか?」
あいまいな言葉だったが、意図するところは明白。
引き継がれる側には、引き継がれる側の苦悩。
スライはうつむいたままで続けた。
「確かに俺たちは、ずっと獣戦機隊を目指して、ここまでやってきたんです。でも、だからって…」
「…時が流れた、それだけだ。お前たちが気にすることじゃない」
「でも俺はっ…教官には、藤原先輩たちには、ずっと俺たちの前を走っててほしかっ…ぃたっ…!」
言葉を遮るように、俺は持っていたファイルでスライの頭を小突く。
「甘えたことを言うな」
「だってっ…」
「…これを、教務まで頼む」
「…、…はい」
スライは、一瞬何か言いたげに唇を歪めたが、話は終わりだと言わんばかりの俺の態度に、
しぶしぶその場を後にした。
「時が、流れた…か…」
自分自身の言った言葉を反芻する。言い聞かせるように。
本当はそんな言葉では片付かないぐらい、胸の中、渦巻く感情。
それでも表面上は取り繕って、納得したふうを装う。
もしかしたらスライには、お見通しなのかもしれないが。
「スライのヤツと、何話してたんだ?」
いつの間にか、『自主訓練』を終えたらしい忍が、傍らに立っていた。
「相変わらず目がいいな」
「へっ、衰えちゃいねぇよ」
に、と笑ってみせる。昔から何一つ変わらない表情に、思わず苦笑する。
「…なにがおかしいんだ?」
「いや…本当にお前は変わらないな」
いつの間にか、良くも悪くも大人にならざるを得なかった自分と。
対照的な存在に。羨望の意味をこめた言葉。
でもその瞬間、忍の表情が翳った。
「俺だって、変われるもんなら、変わりてぇさ…」
「…?」
ぎり、と噛み締めた唇。自嘲気味に歪めて、忍は続ける。
「どうしようもねぇって、わかってんのにな。素直に受け入れられたら、どれだけ楽か。
でも…俺にはやっぱり、できそうもねぇ…」
いつの間にか俺は、言葉を失ったままその顔を見つめていた。
諦めと失望が入り混じった目。初めて見るような表情。
「…忍、」
沈黙に耐えかねるなんて、俺らしくもない。
「…また新しい相棒ができるさ。お前ならどんな暴れ馬だって、あっという間に手懐けられるだろ」
何を言ってるんだ、俺は。
無理やり切り出した言葉は。気休めどころか、むしろ傷を抉るような。
「…そうかもしれねぇな」
忍は悲しく笑って。
「でも、俺はもう…あいつとじゃなきゃ、飛べねぇよ…」
忘れられない一言を、呟いた。
* * *
胸に突き刺さったまま、抜けない棘。
あの日の忍の眼差し。あの言葉。
あいつとじゃなきゃ飛べない。
きっとそれが、忍の全てだったと思う。
今日も暮れゆくオレンジ色。少しずつ闇に上書きされる。
あの日から。
その空を舞う黒い機体は。それを操るパイロットは。
ここに姿を見せなくなった。
2011.10.21
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