3.



ぼんやりと、眺める窓の外。
ちょうどいい気温に、吹き込む風も、肌に心地よい。

幾分楽になってきた体を、ベッドの上に起こす。
布団越しの膝、ふいに飛び乗ってくる微かな重み。

「あっ、だめよ、ベッキー」

その声に、ふと我に返る。

重みの正体は、小さな毛むくじゃらの体。
無邪気にじゃれつく姿に、

「大丈夫だよ、ローラ」

動かない表情で、なんとか笑顔を作った。



宇宙の彼方から。
誰一人として欠けることなく、無事、戻ってこられたこと。

それはすごいことで。すごく、幸運なことで。
ありがたくて。嬉しくて。
頭ではわかっているのに。

奇跡のように取り戻した、平穏な生活よりも。
失ってしまったものばかりが、頭をよぎるから。

無理やり作る笑顔とは裏腹に、心はいつまでも凍りついたままで。


「―――人、雅人ってば」
「えっ…?」

また、意識を飛ばしてしまったらしい。
顔を上げると、眉を寄せて心配そうな表情のローラと目が合う。

「大丈夫?ぼーっとしちゃって。…あ、紅茶入れたから」
「うん、ありがと…」

しっかりしないと。そんな決意とは裏腹に、漏れるため息。
ローラには悟られないように、小さく吐き出した。

「でもよかった。お祈りが効いたみたい」

そう言って、無邪気な笑顔を浮かべる。
その首に、きらりと光るロザリオ。

母親の形見だと聞いていた。
いつも大切に携えていたそれは。

最後の戦いに、発つ前に。そっと、コックピットにかけてあった。

「ねぇ、ローラ」

ふいに、気になっていたことを聞いてみる。

「どうしてそんな大事なものを、俺なんかに…?」

敵の精神攻撃に、意識を奪われそうになったときも。
生きるのを、諦めかけたときも。

強く握り締めたその光に救われた。

俺にとって、まさに救世主、だったわけだけど。

「それは、えっと…」

俺の質問に、ローラは言葉に詰まって下を向いてしまった。
何かまずい聞き方しちゃったかな、そんなふうに思っていると。

「…雅人が一番にやられちゃいそうなんだもん」

いたずらっぽく、こんな答え。

「ひどいなぁ…」

返しつつ、確かにあのメンバーの中じゃ、
そう思われても仕方ないかと、納得しかけた瞬間。

「なんてね、うそ」
「へ?…!?」

ローラは突然、ベッドサイドから俺の体に抱きついてきた。
膝の上のベッキーが、驚いて飛びのく。

「ローラ…?どうした、の…?」

しどろもどろになりながら、言葉を紡ぐ。
ローラは震える声で呟いた。

「だって雅人が…あんなこと言うから…」
「あんなこと…?」
「俺がいなくなっても、強く生きろなんて、言うから…」

それは決戦を前にして。ローラに言った言葉。

あの時は茶化されて、その意味を、よく理解できてないんだと思い込んでいた。
むしろ、そのほうがいいとさえ思っていた。なのに。

感極まったのか、すすり泣きはじめたローラの髪をそっと撫でる。
まだ、子ども特有の柔らかさ。

でもいつの間にか、周りが思うよりずっと大人びて、
俺たちとは違う場所で、1人戦っていた。

残される不安に苛まれながらも。
懸命に祈り、守ってくれた。

それを思うと、たまらなく愛おしくなる。

「私…いい子で待ってたのよ?博士のお手伝いもしたし、お勉強だって。
 …だから雅人、もうどっか行っちゃうなんて言わないで。ここにいて。
 ずっと、いて」

涙声で続けるその背中をさすりながら思う。
今度は俺が、ローラを守る番。

「うん…ずっといるよ」

言った言葉は、思った以上に力強く耳に返った。



「そうだ、ローラ。ちょっと外行かない?」

ようやく止まった涙を拭いて、照れ笑いを浮かべたローラに、
俺はこう切り出した。

「でも雅人、ケガは…」
「ちょっとぐらいなら大丈夫だよ。
 久しぶりに外の空気を思いっきり吸いたいしね」

片目を瞑ってみせると、安心したように微笑んで。

「わかった。じゃ、少し待ってて。着替えてくるから」

軽い足取りで、立ち上がる。

「え?」

ちょっとそこまで行くだけ。
なのに、どうしてそんな必要があるのだろう。

不思議そうな俺の視線に気づいたのか、ローラは肩をすくめた。

「だって、せっかくの雅人からのデートのお誘いなのに。
 おしゃれしてこなくちゃ」

可愛らしい笑顔を振りまいて、部屋を出て行く後姿を見送って。
残された俺とベッキーは、顔を見合わせていた。



さわさわと、頬を撫でる風。
久しぶりに肌に感じる地球の息遣いに、大きく深呼吸をする。

「これ、沙羅おねえちゃんにあげるの」

そう言って、摘み取った白い花を手に、ローラはにっこりと笑った。
あどけない表情は、それでも確実に、女性らしさを帯びて。

つられて自然にこぼれた笑顔。はっとする。
胸の奥にこみあげる、暖かいもの。
凍てついた心が、静かに溶けはじめた。


戦いに赴く前、思わず心の中で叫んだ、愛の言葉は。
きっと今はまだ早すぎるけど。

もう一度、ローラに会えて。
いつかその言葉を、伝えるチャンスを与えられたこと。

幸せだって。

戻ってこられて、幸せだって。


心から、そう思えた。




2010.11.7