私たち、戦いに勝ったのかしら。 そうは見えないね。 こんな、ぼろぼろになって。何もかも奪われちまって。 確かに、地球は救えたかもしれない。 でも、私たち虚しすぎるよ。 ねぇ忍、亮、雅人。 ねぇ…みんな。 聞こえないのかい… 1. 目が覚めると、医務室の天井。 そんなことは、これまで幾度もあった。 でも、体中に走る鈍い痛みと、指一本動かせないほどの倦怠感。 一向にはっきりしない視界。 「ぅ…」 当然、体を起こすこともままならず、小さく呻く。 その声を聞きつけた看護士が、なにやら慌てて部屋を出て行った。 規則正しく響く電子音。耳に届いて。 どうやら俺の心臓は動いているらしい。 生きている、と悟るのに、こんなにも時間がかかったのは初めてだった。 「よかった…!!」 涙声。駆け寄ってくる少女。 見ない間に伸びた背。金の髪。 「ロー…ラ…」 なんとか振り絞ったのは声だけ。震える肩に、触れてやることもできない。 そしてその向こう、ゆっくりと、近づく人影。 科学者としての立場を圧して、俺たちに未来を託してくれた人。 そして、命の、恩人。 「藤原…よくやった。よく…戻ってきてくれた…」 眼鏡の奥に光る、慈愛に満ちた眼。 戦いの中では、見せたことのないような。 すべてが終わったことを悟る。 途端に、熱いものが頬を伝った。 戦いを制した後、俺たちは宇宙に放り出された。 ガンドールに収容されたときには、全員意識もなく、 生命力は極端に弱まっていた。 異空間、悪霊の思念、未知のものに晒されたことによる精神的疲弊が大きく、 目覚めるのが早いか、身体機能が停止するのが早いか。そんな状態だったそうだ。 葉月博士によれば、奇跡。そんな俺の回復は。 でも、決して簡単ではなかった。 いろいろなものを失って。傷ついて。 血も涙も、嫌というほど流して。 必死に戦ってきた、結果。 獣の本能は、満たされたのか、鳴りを潜めて。 代わりに頭を支配するのは。 罪悪感とも。焦燥感とも。空虚感ともつかない。 もしかしたら、そのすべての、感覚。 体の傷が癒えるほどに、むしろそれは増大して。おかしくなりそうで。 行き場のない感情を逃したくて、俺は何度も、拳を壁にぶつけた。 俺に続いて、程なくして亮と雅人も意識を回復した。 そしてそれぞれに、苦しみと戦い始めた。 でも。沙羅だけは。 一向に目を覚ます気配を見せないまま。 数週間の時が流れていた。 何度目かわからないぐらいの、悪い夢を見て。 飛び起きる。じっとりと、嫌な汗。 荒くなった息の下、握り締めた手がぶるぶると震える。 体は、ある程度動き回れるほどに回復しても、 壊れた心は、昼も夜もなく俺を蝕み続けていた。 「くそっ…!」 居ても立ってもいられず、部屋を飛び出して。 深夜の廊下。 暗く、静まり返った、音のない世界。宇宙にも似た。 靴音で、静けさを切り裂いて進む。 これからどうなってしまうのか。 進むべき方向も、行き着く先も、見出せないままで。 と、ふいに。 通りがかった医務室の前。足を止める。 「沙羅…」 未だその部屋で眠り続けている人の名を、呟く。 面会謝絶の戒を破って、俺はそっとドアを押し開けた。 心電図のモニタだけが、ぼんやりと光る室内。 無機質なベッドの上、横たえられた体。 近づいて、その顔を覗き込む。 生死の境を彷徨ってる、なんて。 とても思えないほど、穏やかな寝顔に、胸苦しさを覚える。 俺たち以上に重いものを抱えて臨んだ決戦。 ダメージも、それ相応。 目覚めてからの苦しみも、想像には難くない。 もしかしたら。 すべてから解放されて。平穏に、眠れるのなら。 だったらもう、いっそ、このまま…。 「っ…だめだ」 形になりかけた考えに、間髪いれず反論の言葉が口をついた。 その瞬間。蘇る。 戦いの中、沙羅が、何度も流した涙。 悲しげに揺れる瞳。 無理して作っていた笑顔。 そしていつの間にか芽生えた想い。 守りたい。 心から幸せに、笑わせてやりたい。 意気地が足りなくて、伝えられずにいた気持ち。 でも、だからこそ。 生きて帰って。そして、いつかは…。 夜空に浮かぶ月に、密かに誓ったこと。 「だめだ。沙羅っ…」 無防備に投げ出された手を思わず握り締めて、俺は搾り出すように呼びかけていた。 「…必ず戻ってこいよな、沙羅…。俺は、お前を…待ってる…」 ぴくり、と。ほんの少し指先が動いた気がして。 はっとして顔を上げる。 でも。依然、沙羅は目を閉じたまま。 弱い呼吸が、微かに聞こえるだけ。 落ちる、ため息。 それでも。立ち上がった足取りは、心なしかさっきより力強く感じられる。 まるで見失いかけたものを、見つけたような。 「…待ってるから、な…」 呟いた言葉は、自分に言い聞かせるようでもあり。 俺は静かに部屋を後にした。 来たときと変わらない静けさの中。 響く靴音は、軽くなったわけではなく。 やっぱりまだ、明日を見出せずにいるけど。 何かが。少しずつ。変わっていきそうな気がした。 2010.10.24