ただただ、流れる涙。

涙で曇る視界と同じように、ぐちゃぐちゃに混乱する頭。

なにがなんだかわからずに、どこかに行ってしまいそうな体を、
少し遠慮がちに、でもしっかりと、支えてくれているのは―――――――
 



Heart Break 〜サヨナラ〜


 

 重いまぶたをゆっくりと持ち上げる。船のエンジン音が低く響く、薄暗い部屋。
いつの間に、眠ってしまっていたのだろう。体を起こし、ベッドから立ち上がると、軽い頭痛と共によみがえる、島での出来事。
女性だけに作用するというあの花の魔力で私は、絶望の感情に押し流されて…。

「やっとお目覚めか?お姫様」
急に聞こえた声に、びくりとして振り向くと、いたずらな表情で立っているその人。
左腕に痛々しく巻かれた包帯には、赤い色がにじんでいる。
「忍…」
思わず名をつぶやく。
「その傷…」
「ん?あぁ、たいしたことない。医務のやつ、大げさにぐるぐる巻きしやがってよ…」
忍は、まるで転んで作った傷のように言った。そんな気遣いに、余計に胸が苦しくなる。
「…んで…」
「え…?」
「なんで、私を撃たなかったのさ!」
私は苦しさを振り払うように、声を荒げた。


 本当は、長官は私ではなく亮を今回の作戦に向かわせるつもりだった。
ハートブレイクフラワー。女性だけに作用する、魔力を持った花――――
当然の人選だったと思う。
でもそれを、無理やり覆したのは私。

『でも、あの花にやられたら女のお前は…』
不安げに言った忍に、私ははっきりとこう返した。

『そのときは私を撃ち殺せばいいよ――――』


 「そんなこと…できるわけねぇだろ…」
静かに、忍はつぶやいた。
答えは、わかっていた。
わかっていたけれど、どうしても自分の目で真実を確かめたかったから。シャピロの影を、追ってしまった。
「どうしてよ…」
「どうしてって…当たり前だろうが」
言って、私の目を、まっすぐに見つめてくる。

この瞳は、いつもどんなときも、決して私を責めたりしない。
でも今はそれが、どんな罵声を浴びせられることよりも苦しかった。

こらえきれずに忍に歩み寄ると、その傷を負った左腕に触れた。
「っ…!」
忍の顔が歪み、視線が外れる。その隙をつくように、あふれる言葉。
「その傷、私がつけたんだよ?私が、あんたを撃ったんだよ!!?」
一言発すると、次から次へ、とめどなく言葉がこぼれる。
「初めから、ああなる可能性があるって知ってて、無理言って付いて来て…あんたにこんなケガさせて…
どうして私を責めないんだい?!責めなよ!私のこと…なあ、忍っ!」

やりきれない気持ちが涙となって頬を伝った。

自分をずるいと思う。
未だに、敵となった男の影に取り付かれている自分。
そんな私を決して責めない仲間に、甘えている自分。

涙をぬぐうこともせずにはき捨てた言葉が、室内に響く。

と、だまっていた忍が突然、右手で私の手首を乱暴につかんだ。
「?!」
さっきまでとは違う鋭い視線に射抜かれて、恐怖感を感じる。
でもそれは一瞬で、にらみつけてくれれば、私を責めてくれれば、苦しさから開放されるのではないかという期待感が入り混じる。
覚悟を決めて目を閉じた。けど…

私に与えられたのは、罵声でも、痛みでもなくて、予想外の感覚。

「…??!」
ぐい。と手首を引っ張られたかと思うと、強い力で、抱きしめられる。

慌てて目を開ける。
見えるのは、肩越しの風景。頬に触れるのは、忍の黒い髪。
今までで一番、近い距離に感じるぬくもり―――――

「ゃ…っ!」
突然のことに、私は反射的に体をよじった。
すると、びっくりするほどあっけなく、忍の腕が解ける。
私を解放した忍は、気まずそうに視線をはずすと、つぶやいた。
「悪ぃ、沙羅…つい…」
2人の距離は、またいつも通り。いつもと同じはずなのに、ふと、寒さを感じた。
「俺、もう行くわ…」
「忍…っ…」
何かを言いたくて、踵を返した忍を呼び止めたものの、唇は、言葉を紡げないまま震える。
忍はそんな私を、またあのまっすぐな視線で見つめて言った。

「もう、泣くなよ…」

不思議と、もう苦しさは感じなかった。


 甲板へつながる扉を開けると、あたりは夕焼けで真っ赤だった。今日という日が終わっていく。
今は遠く、小さく見えるあの島を、視線の先にしっかりと見据える。
「何もかも、終わったんだね…シャピロ…」

本当はもう、とっくに終わっていたのだ。
あの日。シャピロが私を置いて、行ってしまった日に。
自分でも、わかっているつもりだった。
でも、ほんの小さな期待が、心に残っていたのかもしれない。

あの洞窟で。
私が最初に見たのはシャピロ、あんただった。
あんたに裏切られた絶望感に、私の心は支配されて、憎しみでいっぱいになって…。
でも、あいつの姿を見たとき、嘘みたいにその感情はどこかにいってしまった。
残された恐怖と混乱の中で、なにがなんだかわからなくなっていた私を、
少し遠慮がちに、でもしっかりと、支えてくれたのはあいつだった。

初めて感じたあいつのぬくもり。それは私の不安を溶かしてくれた。
もちろん、島での出来事や、シャピロとのこと、シャピロに裏切られたこと、すぐには忘れらないだろう。

でも、私の居場所がここにあるんだって、教えてくれたような気がした。


 波音を響かせながら船は進み、ついに島は見えなくなった。

「さよなら…」

口をついて出る言葉は、過去との決別。
もう、迷うことはない。
私は私の居場所を守るために戦う。相手が誰であろうと。
 
頬をなでて通り過ぎていく海風に、ふと、思い出す。

初めて触れたあいつの黒髪が、思った以上にやわらかかったことを―――――




2008.2.28


記念すべき、しのさらSS第1作目!
ぶぅがしのさらにハマるきっかけとなった、TVシリーズ第20話後のお話です。