腕に走る鈍い痛み。

でも、そんな傷なんかより、もっと痛いのは―――――――
 



Heart Break 〜ココロノ キズ〜




 「おい、沙羅」
声をかけたが返事はない。
「…入るぞ」
軍用船の中の簡易の部屋。
鍵すらもつけられていない扉は、手を触れるとシュッと軽い音を立てて開く。
許可を得ずに入るのは気が引けるが、あの島を発ってすぐに、
何も言わずに部屋に閉じこもった沙羅の様子が、気がかりで仕方がなかった。

「沙羅…?」
名前をつぶやき、室内を見回す。
と、ベッドの上でごそりと何かが動いた。
「なんだ…寝てんのかよ」
意外にのんきなんじゃねぇか。そんなことを思いながら近づき、その寝顔を覗き込む。
「…ぁ…」

泣き腫らした目、閉じていてもわかるぐらいに。
ずきりと音を立てるように痛くなる胸を、俺は思わず押さえた。
一人、ここで、誰にも見られない場所で。洞窟で流した以上に涙を流したのだろう。

「ゆっくり…休めよな…」
ずり落ちかけている毛布を整えてやると、部屋を後にしようとする。が、
「ん…」
「!!」
ごそごそと、沙羅の体が動く。どうやら起こしちまったみたいだ。
急いで退散することも考えたが、それはそれで誤解を生みそうな気もしたので潔く声をかけた。

「やっとお目覚めか?お姫様」
沙羅はびくりと肩を震わせ、俺を振り向く。やっぱり…腫れた目。
「忍…」
ゆっくりと俺の名を呼ぶ、かすれた声。
「その傷…」
腕に巻かれた包帯を見て、沙羅の表情が曇る。
その理由はわかっていたが、これ以上辛い顔をさせたくなくて、俺は反射的にそっけなく答えていた。
「ん?あぁ、たいしたことない。医務のやつ、大げさにぐるぐる巻きしやがってよ…」
安心させたくて、まるで転んで作った傷のように言う。
でも沙羅は、また泣きそうな目を俺に向けた。
「…んで…」
「え…?」
「なんで…私を撃たなかったのさ!」

ずきり。また痛む心。


 本当は、長官は沙羅ではなく亮を今回の作戦に向かわせるつもりだった。
ハートブレイクフラワー。女性だけに作用する、魔力を持った花――――
当然の人選だったと思う。
でも、それを覆したのは沙羅だった。

『でも、あの花にやられたら女のお前は…』
そう言った俺を、沙羅は揺るぎない決意を湛えた瞳で見つめ返した。

『そのときは私を撃ち殺せばいいよ――――』

 
 「そんなこと…できるわけねぇだろ…」
「どうしてよ…」
「どうしてって…当たり前だろうが」
すかさず聞き返した沙羅の言葉が悲しくて、思わず語気を強める。

あの時は、迷いのない瞳を否定することができなかった。
でも初めから、なにがあっても沙羅を撃つ気なんてなかったし、どうやっても、連れて帰るつもりだった。

沙羅の帰る場所は、俺たちと同じだって、確信があったから―――――

お前は俺を、俺たちを、信じられなかったのか?
沙羅の真意を知りたくて、じっとその目を見つめた。
視線が、絡まる。

と、突然沙羅が俺に歩み寄り、傷を負った左腕に手を伸ばしてきた。
「っ…!」
触れられた部分から鈍い痛みが広がり、思わず歯を食いしばる。
何のつもりかわからず動揺する俺に、沙羅ははき捨てるように言葉を投げてきた。
「その傷、私がつけたんだよ?私が、あんたを撃ったんだよ!!?」

ずきり。また、痛い。

「初めから、ああなる可能性があるって知ってて、無理言って付いて来て…あんたにこんなケガさせて…
どうして私を責めないんだい?!」

痛いのは、腕の傷じゃなくて、心の傷。
俺の傷じゃなくて、沙羅の傷。

言葉と一緒に、大きな瞳から再びあふれ出した涙。
それを見た瞬間。
ほとんど勝手に、というか自動的に。
体が動いて。

気がつくと沙羅の体を強く、抱きしめていた。

思った以上に、細くて柔らかい体に驚く。
そしてそんな体の中のもっともっと細い心に、受け切れないほどの傷を隠していると思うと、
息がつまったように苦しくなり俺は夢中で沙羅を掻き抱いた。


沙羅のことは、士官学校時代から知っていた。
きれいな顔をしてはいたが、気が強くて、口が悪くて、男みたいなやつだと思っていた。

まさかそんなやつに、そんなやつの涙に、こんなにも心が痛いなんて。


 「ゃ…っ!」
腕の中の沙羅が体を硬くしたのを感じ、はっとして束縛を解く。
「悪ぃ、沙羅…つい…」
いまさらになって、自分のしたことに後悔の念が押し寄せていた。
こいつの気持ちも考えずに、俺は…
「俺、もう行くわ…」
ずるいとは思ったが、これ以上ここにいるとまた自分の感情をぶつけてしまいそうで、俺は目をそらしたままで踵を返した。
なのに、
「忍…っ…」
呼び止められ、振り向くと、また絡まる視線。

沙羅はもう、泣いていなかった。それだけが、救いだった。

沙羅の唇は何か言いたそうに震えたが、俺はそれをさえぎるように言った。

「もう、泣くなよ…」

 
 逃げるようにその場を後にし、俺は空いている仮眠室に駆け込むと、ベッドに体を投げ出した。
天井を仰いで、気持ちを落ち着けようとするが、もやもやが頭の中を覆いつくしている。

戦いの中で、沙羅の何でも1人で抱え込もうとするところや、無茶をしすぎるところを知った。
誰かが守ってやらないと、崩れてしまいそうなほど脆い心も。

沙羅のことを知れば知るほど、あいつを裏切り傷つけながらも、心の中に未だ居座り続けるシャピロを憎いと思った。
あいつの1番近くにいながら、守ってやれなかったシャピロを、男として、許せなかった。

そして何より、沙羅がその許せない男を、狂おしいほどに想い続けていることに対する、これは、嫉妬…なのか。
「くっそぉ…」
俺はうめくような声を出す。あまりにも一方通行な想い。

でもふと、脳裏によみがえった沙羅の涙が、俺の決心を揺るぎないものにさせる。

例えあいつが一生、あの男を想い続けたとしても、俺があいつを守り続けてみせる。

一方通行だって構わない。

もう、あんな顔は見たくない。



ただ、それだけだ。




2008.2.28


『Heart Break』忍くんサイドです。
ぶぅ的には、忍くんの気持ちはあの洞窟で固まったんじゃないかと思っております!勝手に(笑)