1ヵ月後のその日は、あっという間にやってきた。
 
 結局、その後沙羅と会う機会もなく、連絡すら取れないまま、忍の頭の中ではなにもかもが未決着のままだった。
 
でもきっと。
今日、そこに行けば、否応なしに会うことにはなるだろう。

それは不安でもあり、やっぱり完全にはなくならない、淡い期待も――――



4.



 突き抜けるような青空と、心地よい日差しが降り注ぐ好日。
 集まり始めた参列者たちは、それぞれに再会を喜んだり、思い思いの会話をしながら、今日の日に流れる幸せな空気を楽しんでいた。

 そんな人々から距離を置くように、忍は教会の裏手に向かって歩いていた。
 
 もともと田舎育ちで人ごみがあまり得意でないのと、普段縁のない窮屈な格好に身を包んでいることもあって、
とてもその場で会話を楽しむ余裕はなかった。
歩くたびに響くいつもと違う靴音は耳障りだし、早くも首元は苦しくなってきたし。

「まだ時間あるよな…?」
腕時計をちらりと見ると、式が始まるまではあと20分ほどある。
人目に付かない場所まで移動すると、ネクタイを緩め、ふうっと息をついた。

「おっと、先客がいたとはな」

扉が開く音がして、それと同時に、聞き覚えのある声。

裏口から現れたのは、今日自分をここに呼んだ人物、つまり、あの衝撃の手紙の送り主、その人であった。

「忍、こんなところでなにをやってるんだ?」
その人―――亮は、忍のすぐ横までやってきた。

「お前こそなにやってんだ?主役がこんなとこで油売ってていいのかよ」
「主役は俺じゃなくて花嫁だろう。それに、どうもこの格好といい雰囲気といい、落ち着かなくてな」
言いながら、自分と同じように首元を緩めるしぐさに、

「へえ、俺と同じってことか」
忍は肩をすくめて笑った。


 「それにしても驚いたぜ。お前が結婚とはな…」
ほとんど雲1つない、快晴の空に目をやる。
 正直、亮が、戦いの中で出会った異国の少女と、いつの間に心を通わせていたのか、忍には見当もつかなかった。

「忙しいときに…ちゃっかりしてるぜ」
からかうような忍の口調に、亮は余裕の漂う笑みを見せる。
「物事は堅実に進める性質なんでな」
「へっ、物は言いようだ」

 ひとしきり他愛もないやりとりを繰り返していると、会話の切れ目に、亮がぽつりと口を開いた。

「平和だな…」

その静かなつぶやきは、忍の意識を奪う。
引かれるように亮のほうに目をやると、その横顔は依然空を見つめていた。

「少し前までは、攻めてくる敵の姿ばかり追っていたのに、今はこうして、ぼんやり空を眺めてる」
「ああ…」

相槌を打ちながら。
思い出す、戦いに明け暮れた日々。

数え切れないものを失って、取り戻した平和な日々。

でもそれも長くは続かず、突然降って湧いた今回の戦いは、またしても彼らの大切なものを脅かした。

「今度こそ、終わることを願うよ…」

つぶやく亮の横顔に、たくさんの思いが重なって。
こみ上げてきた気持ちが言葉になって口をつく。

「亮…お前…幸せにな…」

すぐに向けられる、少し驚いた表情と。
「まさか、お前の口からそんな言葉が聞けるとはな」
含み笑いの言葉。

からかわれた気がしてふいっと目をそらす。
「だが…」
そんな忍に、亮はニッと微笑んで続けた。

「それを言うならお前こそ、だろ」

今度は忍が驚く番だった。
祝福を受ける立場の人間から、そんな返しをされるとは予想していなかったから。

「どういうことだ…?」
思わず尋ねた忍に対する亮の答えは。

「知ってるか?危機的な状況に陥ったときに口をついて出る言葉には、その人間の本音が含まれるもんらしい」

質問に対する直接的な答えではなかったが、

「それって…」

その言葉から悟る。
亮が、言わんとすることを。

「…お前も…あの時、聞いたんだな…?」

沙羅の、あの言葉――――

最後まで声にならず、口をつぐむ。

亮は肯定も否定もせず、続きを促すこともせず、ただ、忍のほうをまっすぐ見据えると、真剣な眼差しで続けた。
「あれは…あいつの精一杯の本音じゃないかと思う。…大事にしろよ」

その瞬間に。

タイミングを見計らったように、空に響く鐘の音。

突然の大きな音に、はっと呑む息。
それと一緒に、何か言おうとした言葉も呑み込まれる。

「おっと、そろそろ時間らしいな。それじゃ、また後で」

話せてよかったぜ―――

何も言えずに立ち尽くしている忍に、言葉とともに軽く合図すると、亮は建物の中へと戻って行った。


 ようやく鳴り止んだ鐘の音に、止まっていた思考が動き出す。

「…ちっ…かっこつけたこと言いやがって…。あいかわらず嫌なやつだぜ」
小さく舌打ちをする。

裏腹に、悔しいぐらいにすっきりしている心には、自分のことながら情けなくなるけど。

やっぱり、あの時のことは、夢でも幻でもなくて。
沙羅の言葉は本当で。

それが本音だとしたら。


頭の中で、亮の言ったことを反芻する。

大事に、しろよ。

忍はもたれかかっていた壁から体を起こすと、教会の入り口へと向かう。


そんなことは、言われなくてもわかってるんだ。

だって、俺の気持ちなんて、もう。


ずっと、ずっと前から―――――




2008.6.5


連載第4回。亮さんの結婚式にて。
亮さん、最後に出てきていいとこ取りの巻(笑)