3.


 病院での缶詰状態からようやく解放され、忍が軍に戻ったのは、それからさらに一週間後のことだった。

あいつはまだ、ここにいるんだろうか。

長官へのあいさつを済ませ、1人廊下を歩いていると、ふいに頭に浮かぶ、赤い髪。

無意識に視線を泳がせている自分に気づき、忍はため息をついた。

会ったところで、どんな顔をすればいいのか。

 あの日、結局沙羅の真意を知ることができないどころか、むしろ怒りを買ってしまったのだから。
でも、あのときの沙羅の表情、あからさまに動揺した声。

やはりあの言葉を夢として片付けることはできず、頭の中のもやもやは、大きくなるばかりだった。

「退院おめでとー忍っ!」

と、背中にぶつかる、ドンっという衝撃と、声。
思わず体制を崩しそうになりながら振り向く。

そこに立っていたのは、能天気な笑顔を向けてくる雅人だった。
能天気はいつものことなのだが、暗雲が立ち込めている自分の頭の中との大きな差に、忍は軽く眩暈を覚える。

「なんだ、お前か…」
「ひっどいなぁ。なんだってことはないだろー?これでも俺、心配してたのに」
大げさに嘆く雅人に、わかったわかったと軽く返事をした。

「そういやお前、いつまでこんなとこでくすぶってんだよ。家に戻らなくていいのか?」

雅人が、正式に父親の後を継ぐことになったという話は、すでに忍の耳にも入っていた。
だから、引継ぎやら何やらに追われているだろうと思っていた彼が、まだ軍に残っていることは、正直意外であった。

「ああ、まずは経営のなんたるかから学ぶようにって言われて…今は勉強中さ。
勉強ならここのほうが本も揃ってるし、部屋もあるし、なによりローラにもすぐ会えるしね」
言ってにっこり笑う雅人に、忍は苦笑を返す。

「…お前なぁ…基地をなんだと思ってるんだ…?」
「まあまあ、かたいこと言わないでさ」

本当に、こいつに経営者なんてできるんだろうか…
人のことながら一抹の不安を覚えつつ、忍は、コーヒーでもどう?という雅人の誘いに乗ることにした。


 昼下がりの閑散とした食堂。
窓際から見える滑走路では飛行訓練の真っ最中で、教官や訓練生たちの姿がちらほら見えた。

「そういえば、亮教官の姿が見えねぇけど…」
カップを傾けながら、忍は雅人に尋ねた。

軍に残って教官を務めているはずの亮だったが、窓の外にその姿はない。
「かわいい生徒たちをほったらかしにして、また放浪の旅にでも出たのか?」

冗談めかして言うと、雅人はくくっと意味ありげに笑う。
「なんだよ…?」
「ある意味それに近いものがあるかも…」
そしてポケットから何かをとりだし忍に差し出した。

「これ、亮から預かってるんだ。忍が戻ってきたら渡してくれって」

差し出されたものは、1通の封書だった。

「亮のやつ、どういうつもりなんだ…?」
「まあまあ読んでみなって。びっくりするから」

促されるままに封を切り、中身に目を通す。
しばらくは左から右へと視線を走らせていた忍だったが、すぐに雅人に驚きの表情を向ける。

「あいつっ…いつの間に…?」
「そーいうこと」
忍の期待通りの反応に、雅人は満足げに返した。

「で、今ははるばるメキシコまで、花嫁さんのお迎えに行ってるってわけ。まったく、亮も隅に置けないよね」

もう一度手に持ったままの紙に目を落とす。その日は、今日からきっかり1ヵ月後となっていた。

あのヤロー、帰ってきたら一言言ってやらねーと…。

そんな考えが頭をよぎる。
亮らしく淡々とはしているが、幸せそうな様子がにじみ出ている文面に、忍は思わず口元を緩めた。

と、突然。

「ねえ忍、沙羅とは会ってるの?」

雅人の口から出た名前に。

当の自分が、今置かれている状況を思い出す。
亮のおかげで意識の外に追いやられていた暗雲が、再び忍の頭を覆い始めた。

「…会ってねーよ。何でだ?」

ぶっきらぼうに返すと、戸惑いを悟られないように、コーヒーをあおった。
なのに、雅人はさらに追い討ちをかけるように続ける。

「だって、沙羅のことだけ何も聞かないんだもん。気にならないの?」

今度は思わず吹き出しそうになる。

「なんで俺がっ!!…気に…しなきゃ、なんねぇんだ…よ」

本当のことを言うと、その逆だ。
だから、つい強まってしまった語気を、慌てて押さえる。

「沙羅、仕事の依頼があったみたいで、早々に帰っちゃったんだけどね。売れっ子は大変だよね〜」

勝手に話し始める雅人に、忍はため息をついて窓の外へ視線を投げた。
そうすることで心の平静を取り戻そうとしたのだが、
「ちょっと!なんでそんな興味なさそうなのさ?」
雅人の非難めいた声に、すぐに遮られてしまう。

「聞きたいなんて言ってないし、第一、俺には関係ないだろ?」
返しても、

「なに言ってるんだよ!あの時は、沙羅に助けられたようなもんなんだからね。ちゃんとお礼とか言った?」
やたらと食い下がってくる雅人に、小さくため息をついた。

確かに雅人の言うとおり、あの時ほとんど視界を失いかけていた自分をフォローしてくれたのは他ならぬ沙羅だった。
沙羅の声を頼りに剣を振るい、沙羅の声を頼りにあいつを倒すことができた。

しかもそれに対する感謝の気持ちを、確かに自分はまだ伝えていない。
でも。
まさかそれを雅人に責められ、あげく礼儀を説かれるなんて思ってもいなかったので、忍は合点がいかず頭をひねる。

なんで俺がこいつに説教されなきゃいけねえんだ?
そもそも、何をそんなに張り切ってるんだか…

「…!」

その時。
忍の考えが、当然といえば当然の結論を導き出す。

何でもっと早く気がつかなかったのだろう。

あのときの沙羅の言葉。あれが夢ではないのなら、いっしょにいた雅人だって、聞いていても不思議はないのだ。

もしかしたら、こいつは何か沙羅から聞いてるのかも…

「さてと、それじゃ俺はそろそろいくね。これからローラとデートなんだ」

忍が降って湧いた考えから我に返ると、雅人は席を立とうとしているところだった。

こいつ、言うだけ言ってさっさと逃げる気か?

「おい雅人」
反射的に雅人を呼び止める。
呼び止めたまではよかったのだが。

「なに?」
尋ねられて、今さら言葉に詰まる。

勢い余って忘れかけていたが、まだあの言葉が現実だという確信はない。
それなのに、これ以上恥をさらすのは避けたい気もする。

だいたい、当の本人以外に聞くってものなんだか…

「忍…?」
あまりの沈黙の長さに、雅人は怪訝そうな顔で覗き込んでくる。

悩んだ末に忍が発した言葉は、

「ああ、いや…悪ぃ。なんでもない…」

思い切り場をごまかす言葉で。

「…?変なの」
首を傾げて食堂を出て行く雅人を見送ると、

「はぁ〜…」
忍は思い切り、机に突っ伏した。




2008.5.29


連載第3回。忍くんと雅人くんのお話。
忍くんと他の男性キャラとの絡みもけっこう好きです。