「忍、このあとあいてる?」

訓練を終えて、シャワー室へ向かう俺を、こんな言葉で呼び止めたのは沙羅だった。

「へっ?」
突然の問いかけに、思わず間抜けな声を出す俺を尻目に、沙羅は淡々と続ける。

「もしあいてるなら、ちょっと付き合ってほしいんだけど」
「いや、別に…なんもねぇけど…」
「よかった。じゃ、私も着替えるからまた後で。ちょっと待たせるかもしれないけど、いい?」
「あ、あぁ。かまわねぇぜ」

短いやり取りの後、去っていく後ろ姿を視線で追いかけて。

もしかして。
いや、まさか…な。

飛び交ういろんな憶測は、
今日が、『今日』だからであって…。

不覚にも高鳴りかけた鼓動をごまかすように、
俺は足早にその場を後にした。




Birthday song〜カノジョのケイカク〜




別段、いつもと変わりのない、普通の朝だった。

季節は、本格的な夏が始まる前。
充電中の太陽を覆う、厚い雲のせいで、
天気は見事な曇天。

ともすれば、気分が沈みがちになってしまいそうな、
でも、ただそれだけの、普通の朝だった。

「忍さん!」

出勤するなり俺を見つけて、駆け寄ってきたのはローラだった。

「ローラ、どうした?めずらしいな」

戦いの後、葉月長官の家で暮らし始めたローラは、学校にも通い出して、
基地に姿を見せることは少なくなっていた。

久しぶりに会うその姿は、なんだか少し大人びたように見える。

「これ、渡したくて」
「え?」
「お誕生日、おめでとうございます」
「あ」

そんな言葉とともに手渡されたのは、小さな包み。ほんのりと、甘い匂い。

「…クッキー、うまく焼けてるか、わからないけど…」

もじもじと寄せる肩と、不安そうに見上げる視線。

促されるように包みを開いて、いろいろな型で抜かれた手作り感あふれるそれを、一枚つまみあげる。
ぱくりと口にほうりこむと、芳ばしい香りが広がって。

「うまいよ」

正直な感想。

「よかったぁ!」

ローラの表情がぱっと明るくなる。

「あ、じゃあ私、学校行かなくちゃ。またね、忍さん」
「おう。サンキューな、ローラ」

愛くるしく手を振って、駆け出した後ろ姿を見送りながら。

…そういえば。誕生日なんだっけ。



当の本人がそんな認識なのに、
人に期待するなんて、そもそも間違ってるのかもしれない。

けど。
こんな日に呼び出されて、しかも。

「悪いわね。付き合ってもらう上に車まで出させちゃって」
「気にすんな。そのカッコじゃ、運転しにくいだろ…」

ちらりと見やると目に入る、助手席の沙羅は、
普段あまりはかないスカートなんてはいてるし。

でも、もし覚えてくれてたにしても、
2人きりで誘われるような間柄かと言われると、
…希望はあれど、正直、自信は無いし。

頭に浮かぶいろんな考えを振り払うように、俺はアクセルを踏み込んだ。



言われるままに車を走らせて、
着いたのは一軒のレストランだった。

店内は、間接照明にジャズなんかが流れる、落ち着いた空間。
慣れない雰囲気に一瞬立ちすくみながら、沙羅に促されて窓際のテーブルに着く。

未だに、沙羅からはなんの説明も無いままだ。

でも、店の雰囲気や客層からして、
ただ晩飯に付き合わせたかっただけとは考えにくい。

と、なると、やっぱり―――――?

「今度、取引先の人とね」

勝手に暴走する俺の思考をよそに、沙羅が話し始める。

「打ち合わせついでに食事でも、ってことになって」
「うん…?」
「このお店が候補に上がってたから、下見に行ってくれって頼まれたんだけど、
一人じゃ入りにくくって…だから助かったわ」
「あぁ…って、ぇ?」

そういうことか。

もう少しで、椅子からずり落ちるところだ。

まぁ、考えてみれば当然。
それなら合点がいく。

でも、それならそれで。
できれば今日以外の日にしてほしかった気もするが…

「忍…?食べないの?」
「えっ…あ…」

テーブルには、いつの間に運ばれてきたのか、スープとサラダ。

まぁいいや。
沙羅に誘われなかったら、家でいつものコンビニ弁当だったわけだし。
相手にその気がないってのが致命的に残念だけど、
こうしていっしょに食事するなんて、実は初めてだし。

なかなかいい誕生日じゃねぇか。

俺は気を取り直すと、細かいことは忘れて、食事に専念することにした。



食事をしながら、沙羅の仕事のことをいろいろ聞いた。

獣戦機隊としての大きな任務を終えて地球に戻ってから、沙羅は、少し軍と距離を置くようになった。
もちろん、特殊部隊なだけに簡単に除隊というわけにはいかなかったみたいだが、
訓練に顔を出しながら、今は知人の紹介で始めたモデルの仕事のほうに、重きを置いているようだ。

「最近は、少しだけどデザインも手伝わせてもらえるようになったのよ」
「へぇ。じゃあ、そのうちお前が作った服が店に並ぶかもしれねぇんだ?」
「そこまでは…どうかな」

そう言って、肩をすくめる、照れ笑いのような表情。

ああ、こいつ、こんな顔するんだ。

どきりと、させられる。
戦いの中では、決して見せることのなかった穏やかな顔。


沙羅の中にある弱さを知ったときから、目を、はなせなかった。
壊れてしまうんじゃないかと、危なっかしくて、心配で。

戦いを終えても、それは同じで。

いつしか、俺の気持ちは仲間としての一線を越えていた。

それでもその気持ちを、特に言葉にして伝えたことなど無かった。

同じ世界を生きてて。
いつも近くにいる存在だったから。
それに、甘えてたのかもしれない。

だから、幸せそうな笑顔に安心する反面、
俺の知らない沙羅の世界を垣間見て、少し寂しいような。

複雑な気持ちに苛まれて、俺は、気づかれないように小さく息をついた。



食事を終えると、沙羅が、もう1つだけ寄ってほしいところがある、と言うので、
街中に向けて車を走らせた。

ちなみにだが、食事代は沙羅が支払った。
ただ、『経費で落ちるから』という言葉が、妙に切なかったが。


「あ、ここ。…よかった。まだ開いてた」

とある雑貨屋に立ち寄る。
店内に入って、何か探すのかと思ったら、沙羅はすたすたとあるコーナーまで一直線に歩いていった。

「これなんだけど」

手に取ったのは、革製のキーケースだった。

「ずいぶん早い買い物だな」
「うん。もう、決めてあったから。けど、色は迷ってるんだ」

両手に持って見比べるのは、黒と茶色の、色違い。
どちらにしても、沙羅が使うにしては飾り気がない気がする。

そんな俺の不思議そうな表情に気がついたのか、

「あ、たまには贈り物でもしてみようと思って。その…父の日に…」

もごもごと、少し濁して。

確かにちょっと前までは、かなり反発してた仲だったし。
柄でもないと、思ったのかもしれない。

「忍は、どっちが好き?」
「俺?」

ふいに尋ねられて、思わず聞き返す。

「んなこと言われてもなぁ…俺、親父さんのことあんまり知らないし…」
「好きなほうで、いいよ」
「俺の好みでいいのかよ?」
「うん」

有無を言わさず促される答え。
なにもそんな大事な決断を俺に振らなくても…
少し考えて、くすんだ茶色の方を指差した。
すると、

「だと思った」
「え?」

くすっと、小さく笑い声。

「私も、こっちかなぁって思ってたんだけどね」
「…おいおい…それなら聞くまでもなかったんじゃ…」
「人の意見も聞いておきたかったのよ。あ、ちょっと待っててね」

言って、レジに向かった沙羅は、しばらくすると、プレゼント用に包装された紙袋を嬉しそうに携えて、戻ってきた。

「お待たせ。じゃ、帰ろっか」



すっかり暗くなった空。
車を飛ばす、帰り道。


今日は、ローラに言われて気がついた、
忘れかけてたけど俺の誕生日で。

沙羅と、食事をして。…沙羅にとっては、仕事だったけど。
プレゼントを選んで。…父の日の、だけど。

隣の沙羅も、窓の外を眺めて、なんだか満足そうな表情だから。


一歩前進、そんな気がした。


来年も、同じように。

もちろん、今度は仕事じゃなくて。
誰かのプレゼント選びじゃなくて。

そうなれば…いや、そう、なるように。


ある意味、この1年の目標ができたわけだ。
…やっぱり、なかなかいい誕生日だったんじゃねぇか。


あれこれ考えていると、あっという間に、沙羅のマンションの前にさしかかった。

「ほい、着いたぜ」

サイドブレーキを引いて、声を掛ける。

「今日は、ありがとう」
「おう。また明日な」
「うん」

言って、ドアを少し開けたところで。

「あ、忍」

ふいに、呼び止められて。

「はい、これ」
「は…?」

助手席から伸ばされた手には、さっき選んだキーケースが入ってるはずの袋。
ことん、と、俺の膝に乗せる。

一瞬何のことかわからず固まる俺を差し置いて、
軽やかに車から降りると、

「ウソついて、ごめん。おめでと」

そんな言葉と、いたずらな笑顔だけ残して。

ドアは閉まって。呼び止める隙もなく。
沙羅の姿はマンションの玄関に消えていった。



しばらく、呆然と、今はもう無人になった助手席を見つめていた。

ちょっと待て…
ウソって、いったいどこからどこまでがだ…?
いや、どこからだとしても…

まだ、膝の上に乗ったままの紙袋に視線を落とす。

これがここにあるってことは、つまり…

「…〜っ…」

思考がまとまると、それはもうとんでもない事態で。


つまり、覚えてくれてたわけだ。
それで、祝ってくれたってわけだ。


きっと、耳まで真っ赤に染まっただろう顔の火照りを、
髪をかきむしって、ごまかしながら。


「…やってくれんじゃねぇか。…覚えてろよ」



俺は最高に幸せな気分で、密かに復讐を誓った。




2009.6.8


2009年忍くんお誕生日SSです。

今回は、レクイエム後、GB前を想定して書いてみました。
ここから『きみの王子様より』なんてメッセージカードを送ったり、
ひそかに(?)歌に思いをこめちゃうなんていう忍くんの猛アタックが始まるわけですよ(笑)
そして『復讐』の内容は、沙羅ちゃんの誕生日に明らかになるかも、ならないかも…
正直、まだなにも考えておりません(笑)
どなたかLOVEな復讐を思いついた方はぶぅまで!(募るな)

あ、今回、裏話的なおまけも書いてみたので、よろしければこちらからどうぞー!