約束の場所 別にここには何も無かった。高い山の頂上近くというだけの場所。そこに俺の生まれ育った村はある。 人口も少ない。これといった産業も無い。今日も俺は焚き付けに使う薪を取りに行くといった名目で秘密の場所へと向かう。 村の年配者たちはこんなところまで山菜や薪を取りに来ることはないはずの、少し遠い場所。 上から覗き込めばただ木々や草が生い茂っているだけの斜面に見えるが、その急な斜面を注意して降りれば俺だけの場所がある。 岩が屋根のようにせり出し、その下は逆に奥まっていてちょっとした空間になっている。そこに俺はよくいりびたっていた。 (今日はいい天気だな) 若葉が茂り、若草色のレース越しに透き通った青空がうかがえる。 日差しも風にゆられるたびにチラチラと俺だけの場所を照らす。奥まっているのに光が入る、最高の場所だ。 おれはいつもの場所に薪をのせるための背負子を下ろすと、いつものように背負子にくくりつけてあった本を取り出す。 いつものように、なのはここまでで、今日はいつもとは違うことが1つ。 「ねぇ、ルシアス兄ちゃんはいっつもここで遊んでるわけ?」 「遊んでるんじゃねぇよ。」 「だって薪拾いに来たのに・・・薪なんか一本も拾ってないよ?」 「あとでちゃんと拾うってば、ったくお前はそれを村のやつらにチクるためについてきたのかよ?」 「そんなわけないだろ?ただフシギに思っただけだもん」 小憎たらしい口を叩くチビが1人。アポロ・ミドゥンセ、確か8歳だった気がする。 こいつは俺を慕ってよく話しかけてきたり、ついてきたりする。 だが、俺の秘密の場所に連れてきたのはこれが初めてだ。 秘密の場所だから、だれか他の人間を招き入れるなんてコトをしたくはなかったが、今日は特別だ、というか、もういいと思ったからだ。 「うわぁ・・・」 アポロは崖下の空間にある俺が作ったものを手にとってみる。 「お前、こわすなよ?」 「気をつけるよ、わ、本当に兄ちゃんが作ったの?」 「そうだよ、ほら、名前が書いてあるだろっ?ルシアス・ジゥノンテ・ノベアって!」 アポロが持っているのは空を飛ぶ機械の小さな模型だ。簡易な骨組みと翼、ただそれだけだが、ここまでいきつくのには相当な時間がかかっている。 「すごいなぁ・・・本を読むだけでここまでできるんだ!」 「時間はかかるけどな・・・そいつはすごいぞ、一番長く飛んでいられるんだ。」 「ほんとに?でもここから飛ばしたらすぐに木にぶつかって落っこちちゃうじゃん?」 と、アポロが指差した方向は確かに木立が並ぶ山の中で、機械が悠々と飛行する空間なんてありもしない。 俺だってそんなところで飛行実験をするわけが無い。ちゃんと場所があるのだ。 「バッカ、お前、それぐらい俺だってわかるよ。ちゃんと飛ばすときは広い場所にいくんだ。」 「村の広場?でもやってるところはみたことないよ?夜中に飛ばしてるの?」 違うよ、と俺は首を横に振った。 「これもな、俺だけの秘密。ここからもう少し行った先に開けた場所があって飛ばすには最高の場所なんだ。 飛ばすだけじゃなくて眺めも最高!山のふもとも天気がよければ見えるんだぜ?」 「そんなとこあるの!?どうして早く教えてくれなかったのさ!」 「秘密だからに決まってるだろ。」 むぅ、とアポロは頬を膨らませてみせる。 俺はこのアポロの純粋なところが気に入っていたし、羨ましくもあった。 ただただ俺の作ったものに夢を馳せて、目をキラキラさせている。 俺もかつてはそうだったのかもしれないが、今となってはそこに純粋な思いというのはもう存在しない気がしていた。 「ねぇねぇ、これってどうやって作るの?」 「あ〜・・・まぁ木を削って組み立ててだな・・・何度も実験を繰り返すんだ。上手く飛ぶまで、何度も飛ばして、作り直して、で、それが最初に完成したヤツ。」 「その本に作り方が書いてあるんだよね?」 俺が背負子から下ろしたボロボロの本、いつだかわからないが、どこかからきた行商人が誰かに渡していって、 どういうわけか俺の家にあって、誰も読まないから俺が今所有しているってわけだ。 読んでみて興味を持ったから作ってみたけど、家で作れば『ガラクタ』だっていって邪魔扱いされるから、この場所にやってきたわけだけど。 「そうだな、最初はさっぱりだったけど今では隅々までわかるようになった」 「すごいね、ルシアス兄ちゃん!」 「だからこそ・・・俺はもっといいものが作りたい。」 その最後の言葉を半ば無視してアポロは次の言葉をかぶせるように言った。 「ねぇ、その実験しているところも教えてよ。近いんでしょ?そろそろいかなきゃ薪拾いも終わらないよ?」 やれやれ、とため息をつく。 確かに太陽の動きは早くてもう傾きかけている。もう動かなければ村の仕事も終えられない。 「しょうがないな、でも絶対誰にも教えるなよ?それから薪拾いも手伝うこと、それが約束だっただろ?」 「はぁ〜い」 少しダルそうにいいながらもアポロは笑顔だった。そんなにも秘密の場所が楽しみなんだろうか? その場所にたどり着くと、俺は手近にあった岩に腰を下ろした。 右足に、軽い痺れ。さすがに、自分のペースではないぶん、普段よりも負担をかけているということか。 「すっげぇ〜…」 予想通り、というべきか、アポロは、目を輝かせてその眺めに見入っている。 日の入り間近の空と、ふもとの景色のコラボレーション。心地よい風が、引き立てる。 「ねぇってば早く飛ばして見せてよ!」 「まぁ待てって…」 急かされて、立ち上がる。ふらつく足元、なんとか耐えながら、俺は手にした模型を空に放った。 ふわり、と、滑り出す翼。軽々と、風をつかまえる。 「うわぁ…。やっぱ…すごいよ兄ちゃん!こんなの作れるなんて」 興奮気味に頬を紅潮させるアポロに、俺は肩をすくめて、まだまだだよ、と返した。 「これはただの模型さ。いつかは落っこっちまう。そうじゃなくて俺は…本物を作りたいんだ」 「本物…?」 「ああ。人が乗って、動かすんだ。どこへでも、どこまでも飛んでいける…。そんな本物を作って、ここから飛び立つ…それが、俺の夢なんだ」 そこまで言って、はっと我に返る。 こみあげる、自嘲の笑み。 「…ま、夢は夢。無理だってことぐらい、わかってるけどな…」 俺は再び岩に腰かけると、投げ出した右足に視線を落とした。 ちょうどアポロぐらいの年のころ、父さんに連れられて行った初めての狩りで、俺は獣に襲われて大怪我を負った。 幸い、一命は取り留めたものの、深く噛み付かれた右足には後遺症が残った。 体が成長し、足にかかる重さが増すにつれ、動きは制限され、おそらく成人するころには杖なしでは歩行が難しくなるだろう、と、医者には言われた。 アポロも、俺のこの状況を知らないわけではない。だから、その『夢』が、叶うはずがないということも。それなのに。 「…無理じゃない!」 突然、語気を強めてこう返してきた。 「無理じゃないよ、兄ちゃんならできるよ!」 「あのなぁお前…わかってんだろ?俺は…」 「知ってるけど…。っ、じゃあ、動かすのは僕がやるから!」 突拍子もない提案に、目を丸くする俺を尻目に、アポロは嬉々として続ける。 「兄ちゃんが作って、僕が動かすんだ。座るとこは、2つ作ってね。そうすれば僕も兄ちゃんも乗れるでしょ?」 「いやあのさ、…」 「それなら無理じゃないでしょ?決まりっ!約束だよ」 いつの間にか地面に着地していた模型に駆け寄ると、アポロはそれを拾い上げて走り出した。 まるで翼のように、両手を広げて。 その姿。純粋に、夢見る姿。微笑ましくもあり。羨ましくも、あり。忘れていた感覚を呼び覚ます。 俺は観念したように、頷いた。 「ったく…わかったよ、約束な。…その代わり、お前ちゃんと勉強しろよ?機械動かそうってんなら、それなりの知識はいるんだからな」 「ええ〜〜…」 勉強、と聞いて、途端に情けない声を出すアポロの頭を、当然だろ、と小突く。 本格的に傾いた太陽が、2人の顔を照らしていた。 それから程なくして、アポロは、父親の仕事の都合で町を離れていった。 最後の日、俺はあの模型を手渡した。嬉しそうに眺める姿を目に焼き付けて。 俺はその日から進み始めたのだった。2人の、夢に向かって。 「…生…、先生…?大丈夫ですか?」 ポン、と肩を叩かれて、はっと顔を上げる。そこには見慣れたアシスタントの顔。 自分がぼんやりと考え事をしていたことに気づく。 「しっかりしてくださいよ。いよいよテスト飛行なんですから」 「あ、あぁ…」 目の前には。あの模型から数えれば何代目になるのだろう。ついに形になった、自分の作品。 手にした杖で足をかばいながら、歩み寄る。 技師たちの手で最後の調整がなされている機体には、あの日の夕陽を思わせる、オレンジ色のペイント。 座席は、タンデム形式。譲れない条件。そして。 「それにしても…どうしてここなんですか?先生の故郷って言うのはわかりますけど…」 「…約束、だからな」 飛び立つ場所に、選んだのは、あの時の。 あいつはここにはいない。わかっていたけど。どうしても、ここから出発したかったから。 「そうそう、依頼しているテストパイロットですが…」 と、ぱらぱらとファイルを捲りはじめたアシスタントの報告に耳を傾ける。 「18歳にしてパイロットとは、なかなか優秀な男ですね…名前は、アポロ・ミドゥンセ。あ、ちょうど今到着したようですよ」 「あぁ…え?!」 耳を疑う。10年ぶりに聞く名前と。 「久しぶり、兄ちゃん」 すっかり大人になった声。それでも。 「だから、無理じゃないって言っただろ?」 振り向くと。 無邪気なままの、あの時と同じ笑顔がそこにあった―――。 2011.1.24