雨中の出来事 ばしゃばしゃと跳ね上がる泥、容赦なくブーツに浴びる。 空からは大粒の雨。それも、まさにバケツをひっくり返したような。 「くっそぉ〜…」 恨めしげに空を…見上げようにも顔もあげられないほど、雨の勢いは強い。 俺は、目だけを動かしてよどんだ空を睨みつけた。 大体こんな日に呼び出す姉貴も姉貴だ。いくら亭主が留守にしてるからって、雨漏りの修理ぐらい修理屋に頼めばいいのに。 『久しぶりに、ルシアスの顔も見たいし』 そんな手紙を携えてきた、使いのフクロウだって気の毒だ。今頃はうちで濡れた羽を乾かしているだろう。 去年嫁いで家を出た姉貴―――セレナ・ジゥノンテ・ノベアは、港町ジラディフに住んでいる。 ジラディフは、俺の住んでいる町ラバスマットのほんの隣町だったが、二つの町の間には大きな山があり、越えるのは容易とは言いがたかった。 特に、こんな悪天候の日は。 「うわっ!!」 ぬかるみに足を取られて、危うく転倒しそうになる。 一体なんの因果で自分はこんな日にこんなところを歩いているんだろう。 疑問に思わないわけではないが、それでも、たとえ泥にまみれようと少々風邪を引こうとも、姉貴からの頼みごとを断るわけにはいかなかった。 姉貴は、俺の知りうるかぎりでは最強の魔術師。そのうえ俺の知りうるかぎりでは最強の女、だからだ。 断ったら、間違いなく雷やら炎やら飛んでくる。 体勢を立て直すと、俺は再び山道に挑み始めた。 もうすぐ頂上。つまり、ようやく道のりの半分を踏破したことになる。 頂上といっても、別に絶景スポットがあるわけでもなし、標高を示す看板が立ってるわけでもなし、ただこの山で『一番高い』というだけの地点だ。 周りは木々に覆われ、特に開けているわけでもなく、そこから下りになる、というだけの狭い一本道。 障害物なんかあったら、たまったものではない。 例えば大きな岩とか。今みたいに誰かが道を横切って倒れてるとか… 「って、えぇっ!?」 目の前の光景に、俺は思わず目を見張った。そこには、一人の男が倒れていた。 ちょうど、親父ぐらいの歳だろうか。頭からすっぽりとかぶった黒いマントは体全体を覆い、首や腕には見たこともない石でできた装飾品がかかっている。 この辺ではまず見ない風変わりな格好だ。 男には、一見してわかる外傷はないようだったが、この雨だ。放っておいたら命にかかわる。 それに、こうも堂々と道の真ん中に居座られたのでは、どちらにしても、通るに通れない。 「おい、あんた大丈夫か?」 男の肩を軽くゆすってみる。すると男は、もぞもぞと体勢を入れ替えたかと思うと、伸びをするように腕を伸ばしてから、あっさりと目を開けた。そして。 「…いけない。どうやら眠ってしまっていたようだな」 「はぁ?!」 あまりの突拍子もない発言に、俺は思わずこけそうになった。が、俺の反応を見ても、男は何がおかしいのか見当もつかないというような表情だ。 もう一度大きな伸びをすると、その場にどっかりと座りなおした。 さっきまで閉じられていて見えなかったが、男の瞳は見慣れない濃い赤色をしており、服装からしても、やはりこの辺りの者ではなさそうだ。 「あんた、出身は…?」 「『出身』…?それはどういった意味だ?」 「…。どっから来たかってことだよ」 「あぁ。それなら」 男は指を一本立てると、空のほうを指差した。俺は愕然として、もうそれ以上聞くのをやめにした。 とりあえず、どこか他の土地から来た旅人には違いないだろう。 それにしても、話が通じない。わけのわからないことを言う。おまけにこんな場所でこんな雨の日に寝るなんて… 旅の途中で事故にあって、頭でも打ったんじゃなかろうか。 「わかった…とりあえず、一緒に町に行こう。山を降りたところにジラディフって町がある」 先を急ぐこともあって、俺は男をひとまず医者に見せようと考えた。のだが。 「ジラディフ…?」 その町の名前を聞いて、男の顔色が変わった。 「君は、そこに行くつもりなのか…?」 「あ、あぁ…そうだけど…」 赤い目に射抜かれて、たじろぎながら返す。一体急にどうしたというのだろう。男は俺の前に立ちふさがると、さっきとは打って変わった鋭い目つきを向けてくる。 「あそこに行く気なら、ここを通すわけにはいかない…それが私の使命だからな」 こんな面倒なヤツだとわかってたら、寝てる間にさっさと跨いででも行ってしまえばよかった。俺は心底自分の行動を反省するしかなかった。 このままじゃきっと姉貴にどやされる。氷やら津波やら襲ってくるかもしれない。うんざりする俺を尻目に、男は続けた。 「どうしてもここを通りたければ、私と勝負だ。…君、名はなんという」 「…ルシアス。ルシアス・ジゥノンテ・ノベア」 「ではルシアス。ここでこの私、ミオと1対1の勝負をしろ」 ミオ、というのがどうやらこの男の名前らしい。 頭を打ったせいなのか何なのかは知らないが、とにかくこのおかしな男の言う『勝負』をしないことには、俺は町にはたどり着けないようだ。 そしてそれすなわち姉貴に殺されるということで。俺は仕方なく、わかった、と返事をした。 ミオは、満足そうにニヤリと口角を引き上げた。 「で?勝負って何をするんだ?」 俺は荷物を木の根元のほうへ邪魔にならないように置いた。だが勝負というぐらいだから長剣だけは持つことにする。 ミオはすっぽりかぶったフードからギラリと眼を光らせながら言った。 「しっぽとり、だ。」 「・・・しっぽとり、だと?」 「知らんのか、腰につけた紐を獲るというものだ。」 開いた口がふさがらない。しっぽとり、まさかとは思ったが、小さい頃に誰もが遊んだあのしっぽとりのようである。 ますます俺はこの男に関わったことを心底後悔する。 「アホくさい・・・」 やれやれ、と俺は置いた荷物を取りに行こうとした。 しかし荷物を置いた木の幹に鋭い短剣が深々と突き刺さる。そして俺の頬に擦ったようなぴりっとした痛み。ミオが放ったようだ。 「・・・勝負に勝たなければここを通さない。」 「あーもうっ!!!わかったわかった!!!どっちが鬼だよっ!!」 「わかればいい、鬼は私だ。私がつけているこの紐をお前が獲れば勝ちだ。武器を使っても魔法を使っても構わない。手段は問わず紐を獲ることだ。」 俺はあきらめてミオに改めて向かう。ミオは腰にどこに隠し持っていたのか、しっぽとりに適度な長さの紐をぎゅっとくくりつけた。 「さぁて、かかってこい!」 「ったく・・・なんでこんな雨の日にしっぽとりなんか・・・」 だが文句を言っていても始まらないし、早く姉気のところに行かなければそれこそ天から雷が俺をめがけて降ってくるだろう。 仕方なく俺は目標をミオに定めて走り出した。雨はいっそう激しくなって視界をかなり悪くしている。やっかいなことになったもんだ。 しかも手段を問わないというところを見ると、一筋縄では取らせてくれそうに無い。 「はっは!そんなことでは触ることすら出来ないぞ!」 ミオは軽々と身を翻すと俺から距離を取った。 俺はもう面倒くさくなったので遠慮せずに剣も魔法も使うことに決めた。 魔法はセレナ姉貴直伝だから失敗はほとんど無い。剣もとてつもなく下手だというわけではないと思っている。 さっさとケリをつけてしまおう。要するにミオの動きを封じてしまえばいいわけだ。だったら 「む、束縛の魔法か!」 ミオはニヤリと笑い避けようともしない。案の定俺の放った魔法は何かに弾き返されてしまった。 おそらく身に着けている装飾品が防御力の強いものなのだろう。これでは魔法での動きの封じ込めはかなり難しいということになる。 相当な腕の魔術師で無い限り装飾品の防御力を破るほどの魔法は発動できない。 (生半可な攻撃では全く効かない・・・か。しっかしこいつ相当速い動きをするな。) 「しかしなんでジラディフに行っちゃいけないんだよ。しかもなんでお前なんかが使命なんて言って邪魔をするんだ?」 「それは天のお言葉だからな!」 ミオは身を翻して俺の剣を避ける。その素早さに俺も負けじと次の一手を繰り出す。 それにはさすがに予想していなかったのかバランスを崩し、ミオの服の一部が切れる。よし、全く敵わないという訳ではなさそうだ。 そしてミオはぬかるんだ地面に足を取られ、転倒する。もらった!! 「まだだ!」 地面をうまく転がりミオは泥だらけになりながら俺の攻撃を避けて立ち上がった。 あれだけ泥だらけになれば動きもそろそろ鈍ってくるだろう。 そうだ、泥・・・俺は咄嗟に一面に出来た泥を手でひとすくいし、それをそのままミオの顔面めがけて放った。 「!?」 その思いつきは案外良かったらしく、ミオの左顔面に直撃する。 一瞬の出来事に何が起きたかわからないミオに俺はもう一発泥を投げた。まるでこどもの泥んこ遊びだ。もう一発も顔面にあたり、ミオは混乱している。 俺の勝ちだ。すぐに足払いをかけ、地面に倒すとナイフで腰紐を切った。案外勝負はあっけなくついたもんだ。 「やった・・・!?」 意気揚々と持った紐には何かがついている。一方でミオは地面に倒れたまま動かなくなっていた。 「・・・なんだこれ。」 ボールのようなものがついていて、何かが書いてある。 「『時間内に攻略、合格。』」 「・・・合格ぅ?しかもこの字は・・・姉貴。」 地面に倒れていたミオが突如流れ落ちる雨と共に泥水となって溶け出していった。 「なっ、なな何っ!?」 俺は呆然と溶けゆく存在を見ることしか出来なかった。 どうやらこれは姉貴が仕組んだ壮大なイタズラというか試験であったようだ。 そしてミオというこの男はさしずめ姉貴が作ったゴーレムか何かだろう。 天から来た、というミオの言い分は間違ってはいなかったのかもしれない。それにしたって・・・ 「ああ、だって退屈だったんだもの。」 「いやあの豪雨の中しっぽとりをするオレの身にもなってくれよ。」 姉貴は雨漏りひとつしていない屋根の下で、ずぶ濡れの俺を見ながら楽しそうにそう言った。そして 「じゃあ今度はかくれんぼにするわ。」 2011.1.24