ぶ厚いカーテン。窓の向こうは、強い風。師走も、押し迫って。にぎやかな町は、通りの先。
   駅から、そう遠くはない、この部屋。それでも、静かに。聞こえるのは、ヒーターの作動音だけ。

   手元の灯りは、オレンジ色。時々目を、休ませる。…あまり根を詰めると。怒られてしまう。

   「ふぅ、」

   ふ、と。時計を見上げる。電車に乗る前に、来たメールから、考えて。そろそろ到着、だろうか。
   ふたりがけのソファを、占領して。座ってる。少し身体を、ずらす。それだけでも、大事業。
   どちらかというと、横に広がった体型。“女の子”という、お医者さんの見立てと、一致してる。

   ぎしり、と。ソファの座面に、重みがかかる。落ち着いたら、また。手元に毛糸を、引き寄せる。

   安定期に、入って。ひどかったつわりも、治まって。食欲が戻ったら。さすがに、重くなった。
   ある意味では、“ふたり分”…今のあたしの、姿。だから、占領していても。人数は合ってるけど。

   でも。忍に“どう思われて”いるんだろうか。それだけは、少し。気になってしまう、ことで。


 
                         おかえり。【Home,Sweet Home】



   …こちこち、と。響くのは、時計の音だけ。無音の部屋。TVは相変わらず、苦手。うるさいから。

   ひとりで、のんびり出来るのは…仕事を、セーブして以来の、特権。そう思っていた。けど。
   こうして…ふたりぐらしだから、当たり前だけど…ひとりで待っていると。色々と、考えてしまう。

   「…」

   元々の仕事が、仕事。そして、不規則な生活と。プレッシャーにも弱い。そんな、損なタイプ。
   食は細かったし、食べなくても平気、だった。それでも、保っていたのは。気力だろうか。
   よく、心配された。“もっと食え”と“ちゃんと寝ろ”は。心配性な忍の、口癖みたいなもの。

   そして、いっしょに住み始めて。世話をしている、そのうちに。何となくだけど、丈夫になった。

   今は、仕事も。最低限にセーブして。おうちでのんびりしてるからか。順調に、丸くなった。
   “健康的でいい”なんて。いってくれるけど。…実際、ほんとは。細い方がいいんだろう、か。

   再び手にした、編み物。毛糸を引き出して。指を、進め始める。けれど、もつれて絡まる思考。

   「…」

   軍には少ないけど。周りには、きれいなひとが。いっぱい寄って来る、らしい。風のうわさに聞く。
   …いやいやの“オツキアイ”で。たまに、飲みに行けば。スーツのポケットには、名刺の山。
   寝ていても、遅くなると知ってたら。怒られるって、知ってても。気になって、起き出してしまう。

   でも、当人は。全く頓着してない、らしい。目の前に出した時だけは、若干、慌ててはいたけど。

   『こんなに入ってたのかよ…』

   苦い表情。かき乱す髪。少しゆるめた、ネクタイ。まくった袖の向こう。片目だけ見える、焦った顔。
   ぱらり、と。まるで、トランプが作れそうな、勢い。名刺は、山になってたら。けっこうかさばる。

   正直、心配してしまう。でも、それを…どう伝えたらいいのか。わからない。じっと見つめれば。

   『…勝手に入れられただけだし、興味ないし』
   『…』
   『それより妬いてるのかよ?…』

   真横を向いてしまえば。一番の答え。優しく引き寄せて。髪を撫でる手。ささやきは、小声の。
   つん、と。くちびるをとがらせる。妬いてるんじゃ、なくて。心配なんだとか。いえるわけがない。
   もちろん、それは。仕事の合間を縫って。自分の楽しみ…というわけでは、ないことも。承知で。

   でも。…家で、おとなしく待ってる。ただそれだけの、今のあたしに。興味がなくなったら、とか。

   『…ちゃんと帰って来る、から』
   『…うん、…』

   その時の言葉の、通りに。…臨月の今は、余計に。ちゃんと…許す限り…早く、帰って来てくれる。
   そして “オツキアイ”も、大事だと。元は軍に、籍を置いていた、身として。知ってもいる。
   上層部と、うまく折り合いをつけること。特に、講師の仕事が、多い今は。重要なこと、だとも。

   寄り道すれば、気が気じゃない。まっすぐ帰って来ても、気がかり。…あたしもまた、心配性、で。

   「…ちょっとっ」

   …年が明けたら。また。心配の種が、増える。とか、思ったら。胎動が、一瞬。激しくなる。
   悪口と思ったらしい。蹴る動き。思わず、声が出るほど。どうやらそれは、抗議的な行動、らしい。

   忍と、あたしと。どっちに、似たとしても。確実に、気が強そうな…といったら、また怒られそうな。

   「…あぁもう、そういうつもりじゃないんだけど、…」

   …女の子なのにとか、思ってはいけない。いわれて嫌だったことは、余計に。いいたくはないから。

   編み物を、脇に。優しく撫でてみる。忍が、あたしをなだめるみたいに。語りかけるように。
   確かに、世の中は…気が強くないと、渡って行けないほどに、厳しいとも。多少は、知っている。
   男のひとと、女のひと。どっちも別種の“強さ”を持って。その人の人生を、進んで行く。

   そして。あたしが女で。忍が、男のひとだったから。出会って、反発して。信頼して。…恋をした。

   …つらい思いも、消せないほどの過去も。全部が今…“いとおしい”と思う、気持ちになった。
   だから、女も悪くはない…損は多い気もするけど…なんて。単純な、幸せボケした意見、だろうか。

   それは忍と会えたから、とか。甘い思考。自分でも、信じられないほどの。頬の熱。恥ずかしい。

   「…」
   
   でも。おなかの中の、この子は。どうやら、わかってくれた、らしい。また、動きが、ふと止まる。

   「…」

   男の子であっても。女の子であっても。そういう人と、この子も。出会う日が、来て欲しいと、思う。

   そしてきっと。どっちに似ても。自力で、道を切り拓こうと、いつか。旅立って行くんだろう。
   …親の、あたしたちが。出来る…というか、してあげられることは。それまでは、守ることくらい。
   あたしたちも、そうやって。親元を、離れて。心配かけつつも、健康で。暮らしては、来た。

   そう。だから…健康というか、…今はちゃんと、体調を整えるのが。あたしの、仕事だと思うけど。

   ちらり、と。見た時計。もうじき、日付が変わる頃。少し悩んで。また、編み物に、手を伸ばす。
   もう少しだけ、待っていたい。お願いを、するように。おなかに手を当てる。…動きは、特にない。

   そうして、許しを得たから。また、手を動かし始めれば。時間が、過ぎるのも。忘れてしまう。
   元々、細かいことをするのは、苦にはならない…というよりも、むしろ。好きな方だから。
   玄関が、開いたら。さっと、やめればいい…と、思いつつ。毛糸を繰り寄せて。紡いで行く、と。

   「…」

   …どれくらい、経ったんだろう。…とすとす、と足音。ドアが開く音。流れ込む冷気。ひんやりと。

   「…おい」
   「え?」
   「…え?じゃねぇだろ、え?じゃ…また根詰めてるし」

   頭上から、その声は降る。ずい、と。目の前に割り込む、紺色。…見覚えのある…忍のスーツの色。

   きしり、と。ソファが軋む。…いつの間にか、帰って来たらしい。忍。床には、コートとかばん。
   慌てて時計を、確認する。聞いていた、電車の時間と。駅からの距離と。…予想より、少し早い気も。
   出来る限り、身体を。横にずらす。…やっぱり、幅はふたり分。ソファが、若干。狭く感じる。

   じろ、と。ひざに置いた、編み物に視線。取り上げられる。テーブルの、向こうへ。追いやられる。
   もう手を伸ばしても、届かない。おなかがつかえるから。立って行かない限りは、無理。そんな位置。

   つまりは、今日はもう。“営業終了”しろ、と。暗黙の合図。おとなしく。また手は、ひざの上に。

   「えっと…」

   ちら、と。のぞき見るように、視線。忍は真横に、座ってるから。少しだけ、首をひねる、体勢。

   スーツの前。開いてるのは、きゅうくつなのが、嫌いだから。金色の、階級章は。上級幹部の、色。
   同じく、邪魔らしい。ネクタイを弛める、長い指。白いシャツに、褐色の肌が、よく映えている。
   基本的に、お酒は強い。飲んでも乱れることは、ほとんどない。面倒見が、いいから。介抱役らしい。

   身を、乗り出すようにして。ずい、と。のぞき込む。小言。出来の悪い生徒を、諭すみたいに。

   「…先に寝てろっていっただろ?」
   「うん、…ごめん」

   とりあえず、謝るのも、ルーティングのやり取り。仕事がある日以外は。大体、起きて。待っている。
   わざと、怖い顔を、作っている…と、わかってしまうから。優しい茶色の瞳。灯りに透けて、淡く。
   ほんの少し、乱れた。艶のある黒い髪。きっと急いで…慌てて、駅から走って…帰って来たから。

   ぴょこん、と。はねた、ひと束も。…いつもより、少しだけ、赤い頬も。かわいいと、思う。けど。

   「てか、この局面で笑うなっ」
   「あいた、っ」

   笑ったつもりは、ないのに。…どうやら、真剣みのない、気持ちは。伝わってしまうもの、らしい。
   ネクタイに、触れていたはずの、指。逃げる間もなく、おでこに。つん、と。小さく衝撃が走る。

   「…」

   もちろん、それは。痛くはない程度。けど。間近に迫る、端正な顔。ほんのりと、お酒の匂い。
   まるで、時間が、止まったてしまったかのように。ソファの上、並んで。至近距離で、見つめ合う。
   …長いまつげ。きりりとした、目元。がっしりしつつも、細いあご。かすかなひげ。結んだくちびる。

   もうずいぶんの、長い付き合い。とっくに見慣れてるはず。なのに一瞬、どきり、と。してしまう。

   「だ、大丈夫か?…痛かったか?」
   「…」

   呆けた目線と、停止した間に。焦ったらしい。さらに近付かれる。あたしの鼓動もまた、跳ね上がる。
   隠すように、少しだけ身じろぎ。詰まる距離を、これ以上縮めないように。手で、胸板を押す。

   「大丈夫、だからっ」

   押し戻す仕草に、慌てて、身体ごと引っ込む。相変わらず、おなかに、触れるのは。怖いらしい。
   そもそも、聞き返されても。反応に困る。ほんとうに、“その時”が、来たら。どうなるんだろうか。
   でも。きっと、その時は。頼りになるような、気がする。実際、頼りにしたいと、思うから。

   大きな手。あたしの、額を撫でる。まだ心配そうなままの、表情。低い声。心底からの、懇願。

   「あんまり無理するな、…気になって仕事が手に着かねぇ」
   「…はい」
   「ま、わかればいいけどな…ってことで、」

   素直にうなずけば。あっさりと、追求は止む。…学生の頃の、昔から。さっぱりした、その性格。
   ちらり、と。目線が絡まる。にやり、と。笑顔は、優しく。それでいて、どこか。いたずらっぽい。

   …ほんの少しだけ。頬の角度が、横を向く。今度こそ、隠しようもなく…赤くなる、あたしの頬。
   それは、すっかりと。習慣になってしまった、行為。出勤時と、帰って来た時に。キスをねだる仕草。
   しかも最初は、片方だけ、だったのに。いつしか、エスカレートして。両側にすることに、なった。

   片頬は、あたしの分。そしてもう片頬は、おなかの中の、子供の分。…ちゅ、と。くちづける。

   「…おかえりなさい」
   「ただいま」

   そっと手を取って。おなかの辺りに、導いて。触れる。さっきの暴れっぷりが、嘘のような静けさ。
   落ち着いている、らしい。あたしもまた、落ち着く。忍も穏やかな表情。何度か、撫でる動き。

   「…もう寝てんのかな」
   「さっきまでは起きて待ってたよ?」
   「そっか…」

   大暴れしてたとは、いえないし。いう気もないけれど。目を伏せれば、詰まる距離。近くにいたい。

   「…」

   ふんわりと、寄せる額と、額。つつかれた、おでこの熱。冷めるような。ひんやりとした、感触。
   暖かいといっても、冬は冬。当たり前に、寒い季節。車を使っても、いい階級。でも、それはしない。
 
   体力の維持と。一般職の、基地の職員の人たちと。隔てられるみたいで、うれしくはない、らしい。

   でも。わずかに、感じるのは、お酒の匂い。一瞬しかめる眉。くちづけた頬も、少し。熱かった。
   もちろん、酔っ払ったりはしない量。足取りも、全く危なげなかったし。心配は、何もしてないけど。
   お付き合い程度にしか、飲まない…今は、全く飲めない…あたしには。敏感に、わかってしまう。

   スーツに染みた、タバコの煙も。妊婦になる前から、ずっと。苦手だから、そばでは。特に吸わない。
   とはいえ、今日は。さすがに宴席で。忍以外のひとも、吸えば。余計に、燻されたような、状態。

   「悪ぃ、…風呂入って来るから、」
   「…起きてていい?」

   固まったのは、ほんの一瞬の。でもすぐ気付かれる。…ならば…素直にお願いした方が、早い。

   「…しょーがねぇなぁ…」

   すっく、と。立ち上がる。見上げる背の高さ。逆光に、まばゆく映える。やわらかな、その笑顔。
   乱れた髪。くしゃり、と指ですく。困ったり照れた時の。ささいで、いとおしい癖。よく知っている。
   伸びる腕は、長く。あたしには、とても届かない位置まで。アイボリーの、毛糸。手元へ寄せる。

   …ひざの上へ、乗せて。間に挟んだ、ひざかけも。しっかりと、かけ直して。アピールする。
   ちゃんと温かくして、待ってる間だけのこと。だいたいが、お風呂も。それほど長くは、入らない。

   ぴしり、と。指先。額をまた、つつきそうな勢いの。きっぱりと、宣言。…教官の命令は、絶対。

   「出たらちゃんと寝るからな」
   「うん、…」
   「ってか俺も甘いよなぁ?」
   「うん」

   またドアが開く。スーツの上着を、肩にかけて。クローゼット方面を、経由して。お風呂へと。
   ぼそぼそ、と。付け加える、その言葉。交わし合う苦笑は。いつしか…本当の、笑みになる。

   少し下がる、室温。それでも、ほんのりと。温かくなる、心。ぱたり、と。ドアが閉められる。

   「…」

   ひとりだった、家に。もうひとつ、足音があるということ。…ただそれだけで。安心してしまう。
   引き出す毛糸は、ほんの少し。すぐにキリがつくように。年末は、慌しい。少しでも、休ませたい。

   指を、動かしているうちに。無心…と。いうか、また少しずつ。作業へ、集中して。潜行する、意識。
   小さな靴下。もうすぐ、編み上がる。おそろいの毛糸は、やわらかで軽い。ショールも編む予定。
   温かく、包んで。守ってあげたいものが、増えて行く。楽しみでもあり、不安でもあり。でも。

   ひと目編んで、ふた目編んで。積み重なる、軌跡は。まるで、人生に似てる。そんな気が少しする。

   「…」

   織り成すそれで、“誰か”を守れること。それが今のあたしたちの…全人類が、感じて来た、幸せ。
   父も母も。そして、その父も母も。遠い未来、この子たちも積み重ねて。ずっと、世界は続いて行く。

   長かった毛糸が、短くなる。…ふぅ、と。息を吐く。手を止めて。足元にあるかごは、毛糸入れ。
   今日はもう、おしまいだけど。また明日…と、思いながら。そっと、絡まらないように。片付ける。
   ごちゃごちゃしたのを、隠すように。布をかければ。すっきりと、まとまって。立ち上がる。

   ぱちん、と。照明を消す。うっすらと、白い闇。照らすリビングは、ごくありふれた、光景だけど。

   「…」

   …世界に、何軒の家があるかは、わからないけど。ここもまた、その一部。平凡な。そして特別な。
   今は、そこを守るのが…おかえりなさいを、いうことが。あたしの…一番大事な、仕事だから。

   窓の外。風がうなる。…温めた部屋で、3人で。寄り添って、眠れる幸せに。かすかに微笑んだ。

   《終》

LOVE PALACE【NAKAの隠し部屋】・乙女堂本舗、NAKAさまより、
フリーSSをいただいてまいりました。

平凡だけど、それこそが特別。
幸せな2人の姿に思わず微笑んでしまうような、そんなステキなお話でした。

NAKAさま、ありがとうございました。そして今年は本当に、お世話になりました。
2009.12.29