地図はなくても、たどり着けるけど。何しろ、高級住宅街。家と家の、間の距離。想像以上にある。

   「…」

   追い抜く車も、だいたいが。見合った高級車ばかり。逆にぶつかっても、こっちが。謝ってしまいそう。

   一様に、高い壁と。樹木。うっそうと、目隠しは。公園レベル。静かな空気。小春日和の、陽射し。
   …何回か、来た時は。たいてい他の、誰かと、一緒に。だから初めて、ひとりで来る。若干の大荷物。

   エプロンは、服が汚れないように。何か、お昼を軽く作って。食べさせて欲しいと。頼まれたから。
   おやつや何かは、ちゃんと。用意されているはず。本と、小型のパソコンと。かなりかさばる、中身。
   お昼寝の間に、何か出来ないか…とか。貧乏性。せっかくの、休みなのに、と。自嘲すれば、汗。

   薄手のコートと、長袖のTシャツ。ジーンズは動きやすく。職業柄、いつもなら。ありえない格好で。

   「…」

   かばんを、持ち替える。あたし以外は、誰ひとり。歩いていない。何度もいうけど、“超”高級住宅街。

   見えて来る洋館。門構えは、周りの家より。少し控え目。でもたぶん、セキュリティは。一番強固。
   何しろ、住んでいるのが…獣戦機隊長官。しかも、一家だから。亮の留守の、間も。守りは必須。
   もちろん、招かれての、訪問。とがめられることはない。広い広い、庭は。敵を遠ざける、迷路状。

   たまに、何かの配達…ダニエラが身重の今、実家からも、多いと聞く…が。迷うとか。やや笑えない。

   「…」

   そう。今日1日…“代理母”…といっても、当然。産むわけじゃない。しっかり、果たさなくては。
   いわゆる“ふたり目”の検診の、間。ひとり目…ちゃんと幹という、名前がある…の、面倒を見る係。

   本来ならば、いっしょに。病院に連れて行くけど。ダニエラは、今。調子があまりよくない、らしい。
   つらそうな状況。もちろん亮も、放って置くわけは、ない。でも、仕事上。急には、休暇は難しい。
   助けて欲しい、と。頼まれたなら。断ることは出来ない。ちょうど、非番で。しかも用事はない。

   そんなメールが、来たのが。昨日のこと。…亮には後から、了解を取ると。少し遅い時間の、着信。

   …ダニエラの実家は、遠いメキシコ。亮の状況も、知っている。子供とも何回か、遊んだことはある。
   頼れる存在が、少ないのなら。そして普段、お世話になっているから。役に立てれば…と、思う。

   了解の、返事をして。でもたぶん、その時も。亮は、基地の中で。残業に励んでたのは、知っている。
   ほんとうなら、会社の方も。気にはなるけれど。今回は、みんなに。休みなさいと、いわれた。
   …しばらく、忍とも、話していない…とか。ふと、気がついてしまう。慌しく、非番に。突入した。

   新しく出来た、教務部に。赴任したばかりで。忙しいと思うから。あたしからも、特に連絡しないけど。

   「あれ?」

   考え事を、しながら。歩くのは、この庭の場合。致命的かも知れない。ひとつ角に戻って。やり直し。

   約束していた、時間から。少し遅れてる。焦る気持ち。もう、考えちゃいけないと。いい聞かせる。
   今はたぶん、SPが…任務の垣根を、越えて…面倒を見ているのか。到着した扉。呼び鈴を、押す。

   …ややあって。足音。何の疑いもなく、開くドア。ずいぶん、無防備だとか。考える暇も、なく。

   「…何しに来たんだ?」
   「…って、何でいるのっ?!」

   若干かすれた声と、黒髪。かばんを取り落とす。…高級住宅街に、あたしの悲鳴が。響き渡った。



                ちっちゃな手【空とソーダと水曜日】



   目の前に、冷たいお茶。グラスが、汗をかく間もなく。一気に飲み干す。それくらい、乾ききった喉。
   ことん、と。テーブルの上に、置く。やっと驚きが、治まったけど。あたしからは、口を開かない。

   ちらりと、視線で訴える。…だいたい、亮の家で。忍が出て来ること自体。想像出来るわけが、ない。

   「…」
   「何だよ、そんなに驚くことか?」
   「普通驚くってば!!」

   …と、決めたはずなのに。あっさりと、破られる。申し訳なさそうに、お茶が。注ぎ足される。

   広い洋館。相応に、広いリビング。シンプルなのは、おそらく。亮もダニエラも、あっさり好みだから。
   3人がけの、ソファは。普段は、ダニエラと子供たちの、憩いの場。ひとりがけは、亮の指定席。
   オットマンは、先着順で。今は部屋の隅。濃い茶色。カーテンは、薄いベージュ。濃淡の効いたラグ。

   全体的に、薄い…茶系でまとめられた、部屋。掃除も、行き届いている。ダニエラは、きれい好きで。
   ただ、今は…ダニエラの、留守だからか。普段は出ていない、おもちゃが。床に、散らばっている。

   ちろり、とにらめば。多弁なのは、焦った時の証拠。忍。少し伸びた、前髪を。くしゃりとかき上げる。

   「…あのな、この家だぞ?門を通過したところで、モニタがあるに決まってんだろ」
   「幹が気付いたんだよ、だから沙羅ちゃん来たーって、忍に教えてあげたの」
   「そう、幹おりこうだったね…って、そういう問題じゃないでしょ」
   「つか沙羅が重いだろ」

   座ってるのは、3人。だから、大きなソファの方。両端に忍とあたし。真ん中を幼児が、占領する。
   半袖のTシャツと、破れたジーンズ。…お揃いじゃないけど、何となく。雰囲気が、似てる気がする。
   えへん、と。得意げな表情。ひざに、よじ登って来ようと、するのを。襟首をつかんで、阻止する。

   「えーだって、忍のおひざ固いよ?」
   「固くてもひざはひざだ、」
   「…」

   そして、なりは保父さん風でも。どうやら、同レベルの口ゲンカ。前に会った時より、語彙が増えた。
   じっと見つめれば。髪を、軽くかき回すのは。困った時のくせ。ソファの端と端。目線が合って。

   ソファの上でも、忍の背丈なら。座っていても、子供の目線よりは、高い。肩の上、遊ばせながら。

   「亮から昨日頼まれたんだよ、留守番がいないから来てくれって」
   「…あたしはダニエラからだけど…」

   どうやら、連絡ミス…らしい、と。検証は、すぐ終わる。そして、残った問題は。ただひとつだけ。

   「とにかく、ふたりもベビーシッターは要らない…よね…」
   「そうだけどよ…てか、そっか、…そういうことか」
   「…忍、帰っちゃうの?」

   ぼそぼそと、つぶやく。いったい何が、“そういうこと”なのか。あたしには、よくわからないけど。

   ひざどころか、身体じゅうに。まとわりつく勢い。幹。茶色の、やわらかな髪は。ダニエラ譲り。
   背が高いのはたぶん、亮に似てる。さっきまで、文句をいってたのに。ふと、不安そうな。その表情。

   …忍は、子供には…当然、子供以外にも…優しい。頼れる、遊び相手が。帰ったら、寂しいのだろう。

   それにたぶん、忍じゃ。お昼を作れるとは、思えない。亮が、何を頼んだのかは。知らないけれど。
   あとは、あたしも。…久しぶりに、会えたのに。寂しい、とか…いえるわけは、ない。そんな、本音。
   ふと、テーブルの上。紙片に気付く。丁寧な筆跡は、ダニエラのもの。細々書いてある。母の気配り。

   ものの場所。時間がかかる、炊飯器は。セット済みなこと。火を通せばいい、野菜スープがあること。
   “お昼を食べた後は、お昼寝をさせて下さい。最近は、外に行けないので、散歩もお願いします”

   ちらり、と視線が交錯する。たぶん、任務…というのも何だけど…的に。ひとりじゃ、難しい。

   「何か食べて…いっしょにいる?」

   いっしょにのぞき込む、忍に。上目遣いで、聞いてみる。お昼時。みんなおなかが、空いてる頃合。

   「…当たり前だ、ってことで…帰らないからな、幹」
   「やったぁ〜!!」

   抱きつく仕草。ほっとしたのは、幹だけじゃない…らしい。内心どこか。忍がいて、うれしかった。
   お散歩や、どこかに、遊びに行く時は。あたしの手に、負えないかも知れない。役割分担は大事。
   それに、責任ある…何しろ相手は、大事な命…仕事。正直、ひとりでは。不安だというのも、ある。

   そうして始まる、じゃれ合い。…エプロンを手にする。目と目を見て、そっと。立ち上がった。


                      *  *  *


   湯気が上がる、お皿。和気あいあいの、リビングへ。声をかける。ダイニングも、相当。広い設計。

   「ご飯出来たよ、」

   1回じゃ、効かないのは。盛り上がりっぷりで、すぐわかる。見越して、スープは。まだ注いでない。
   さっきまでは、おもちゃで遊んでた。今は、転がり回って。頭を、ぶつけないか。ハラハラしてた。

   腰に手を当てて、もう一度。…遊びに来た時の、ダニエラを。思い出しながら。お腹からの、叫びは。

   「ご飯出来たから、片付けて!」
   「わーい、沙羅ちゃんのご飯〜!!」
   「食べる前には手を洗って来てね」
   「よし幹、洗面所まで競争だ」
   「ヨーイドン!…忍そっちじゃないよ〜」

   …どうやら、ダニエラに較べて。迫力がないのは、否めないらしい。おもちゃは当然、出しっぱなし。
   片付けようとする、忍に。幹を連れて行くよう。目線で訴える。だから走るのも、この際。目をつぶる。
   今日はたぶん。多少のわがままは、許される…と。子供心に…むしろ、子供だからか…知っている。

   お客様とか、来る日は。特別だった。いつもよりも、遅くまで、起きてたり。どこか浮き立った記憶。

   テーブルの上。料理は簡単に、オムライスと。熱々の野菜スープ。亮が惚れた、と。うわさの味。
   レタスと、ルッコラを。ちぎっただけのサラダ。カリカリに、炒めたベーコンと。クルトンを散らす。

   …お料理自体は、手はかからないけど。これがもし、ひとりだったら…と、思うと。ちょっと怖い。
   子供の、相手をしながら。包丁で切ったり、火を使ったり。想像しただけで。今のあたしには、無理。
   忍がうまく、遊んで。気をそらしてくれたから。何とか、お料理を。完成させることが、出来た。

   結婚とか、したことは。当然ないけど。“夫婦”のフォーメーションは、たぶん。無言の連携、だろう。

   「…」

   というよりも。フォーメーションとかいう、単語自体。平和な、家庭生活には。そぐわないもので。
   とりあえず、いっしょに。面倒を見てくれて、助かった…と。後で、お礼をいうべき、だろうと思う。

   ふわふわたまごの、オムライス。中身は、ごく普通の、チキンライス。大きさは、大中小3種類。
   大きな冷蔵庫。フレンチタイプの、ドアポケット。出て来た、ケチャップも。何だか大きく見える。
   ぱたぱた、近づく足音を、見計らって。スープを注ぐ。野菜たっぷりの、シンプルなコンソメ味。
   
   「「うまそうだな」だねぇ」
   「…自分でケチャップかけてね」

   …シンクロする、賞賛の声。ごく簡単な、料理でも。誉めてくれる相手が、いると。うれしいと知る。
   椅子を引く音。席は、適当だけど。あたしが、シンクの一番近く。隣に、幹。向かい側に、忍。

   なのに、なぜか。すぐ後ろから。和気あいあいの、やり取り。ぷちゅ、と。チューブを絞る、音。

   「違う、R逆向いてるって…貸してみろ」
   「えーやだ、幹がやるのっ」
   「…何やってるの?…あ、」

   大中小の、オムライス。3つ並べて。真ん中の大きさの、それに。“SARA”と。あたしの、名前。
   ちっちゃな手が、握ると。ケチャップのチューブも、大きく見える。真剣なまなざし。字を覚えたて。
   すぐ隣に、大きな手。…成長すると、こんなになるんだ…と。思ってしまう。はらはらと、見守る。

   小さいオムライス。長いローマ字は、書けないから。“MOTO”と。これはちゃんと、合っている。

   「はい、忍に貸したげる」
   「…つかお前、飽きただけだろ」
   「えへへー」

   …大きなオムライスに、忍の名前…は。長いのと、面倒なのとで。チューブごと、バトンパスする。
   とはいえ、仲むつまじい情景。さすがに、名前は書かない。無造作に、たっぷりと。絞り出して。

   野菜のスープ。熱いから、遠目に配置して。あたしも、椅子に座る。スプーンを手にする、その前に。

   「じゃあ、いただきます「いただきますー」腹減ったー」

   手を合わせれば、ちゃんと。全員で、いただきますの合図。すぐさま、ぱくり、と。口に運ばれる。
   それは、あれだけ暴れたなら。おなかは空くだろう。気持ちのいい、食べっぷり。ある意味男らしい。
   サラダを、小皿に取って。忍に渡す。…たぶん、今は。食べるのに忙しいから。存在に気付かない。

   「お、サンキュ「…食べながらしゃべらないのっ…、…」

   教育に悪いから。たしなめる。スープをすくって…一口、飲もうとするけど。つい、見とれてしまう。

   ざっくりすくった、卵の黄色と。チキンライスの、赤。鮮やかな、コントラスト。口の中へ消える。
   もぐもぐ、と。よく噛んで。大きいから、食べ甲斐がある、らしい。忍。おいしそうな、表情。
   歯並びは特にいい。飲み込むたび、うごめく。喉の隆起。なまめかしいとか。なぜか思ってしまう。

   ぼたぼたと、スープが。皿に落ちる音で。ふと、我に返る…とか。どっちも教育に、悪いと思う。

   「…」

   くちびるの端に、ケチャップ。ちらり、と。目線を送るけど。まるで、気がつかない。それどころか。

   「幹、うまいか?」
   「うん、沙羅ちゃんのご飯おいしいー」
   「だろ?…今日は特別サービスだからな、」
   「ほら、お口べたべただからね…はい、きれいになったよ」

   うれしい言葉。…口に合うかは、確かに。不安だった。ちゃんと食べてくれてることに、安心する。

   でも。テーブルの向こうと、こっちで。会話が、始まってしまう。そうじゃない、と。がっくりする。
   どうして、忍が自慢げなのかも。よくわからない。ティッシュを渡して、口の端。アピールする。
   ついでに…というのも、何だけど。幹の、口の周りも。なかなかすごいから。拭いてあげる。

   ぷくぷくのほっぺた。色が少し、白いのは。ダニエラ似な気がする。食事を、再開しようとして。

   「何だ、そっちだけサービスかよ」
   「…サービスじゃないでしょ、意味わかんない」
   「…」
   「もう、…」
   「たまにゃいいだろ?」

   …ん、と。顔だけ、突き出して来る。きらきら輝く、瞳。俺も拭いてくれ、と。無言のアピール。
   仕方がないから。少しだけ、身を乗り出して。拭いてあげる。…こっちは若干の、不精ひげがある。

   にかり、と。笑顔は、幹と同じくらい。邪気がない。たまにも何も…顔なんか。拭く間柄じゃ、ない。

   ちっとも、食べた気がしない…というより、お皿を見たら。あたしだけ、取り残されている。
   ペースを上げるけど。どうも、隣の幹が。気になって、仕方がない。しょっちゅう、中断する。
   ちゃんと、食べてるかとか。嫌いなものを、除けたりしてないか、とか。味わう余裕なんか、ない。

   そんなあたしを、見かねたのか。最後のオムライスを、一気に。口に入れて。忍が手招きをする。

   「幹、こっち来い」
   「うん」

   …わずかな、アイコンタクト。自分が相手をする、その間に、あたしが。食べ終わるように、と。
   たまに、ファミレスとかで。家族連れの、お父さんとお母さんが。してるところを、見たことはある。

   「…」

   世の中の、お母さんは。大変だと思う。自分を後回しにしても。子供に、食べさせる。面倒を見る。
   さっきの料理に、してもそう。…結婚してから、自分に。出来るのか、と。ふと。思ってしまう。
   というより、先に。結婚する予定が、ない…とか。根本的な、問題には。とりあえず、目をつぶる。

   どうやら、幹も。食べ終わったらしい。野菜も、好き嫌いなく。きれいに片付いた、お皿が並ぶ。

   「「ごちそうさまでした」」
   「はい、…あ、いいよ運ぶから」

   手を合わせる。忍もまた、基本的に。そういうところは、礼儀正しい。そろって、終了のごあいさつ。

   いつも、そうしているのか。空いたお皿を、運ぼうとする。少し危なっかしい、手つき。はらはらする。
   …これも、ダニエラなら。しつけの一環として、見守るんだろうけど。今の、あたしには。難しい。

   経験の差と、いわれたなら。それだけのこと。…いつかそんな日が。あたしにも、来る…んだろうか。
   よくわからないけど。集中しないと、お皿が割れるだけ。気を引き締めて、洗わなければと、思う。
   すっかり冷めた、オムライス。サラダの残り。とりあえず、味は気にしないで。口に放り込んだ。


                      *  *  *


   3人分の、洗いもの。いつもなら、これも。ほぼひとり分…たまに、秘書の子と、食べるくらい…で。

  「終わったよ、」
  「お疲れ「おつかれー」何だよ、真似すんなよ」

   エプロンにつけた、タオル。手を拭きながら。リビングは、ダイニングの隣。ドアのない、通路。
   ずっと、にぎやかな声が。背中に、聞こえていた。忍が、幹の相手を、してくれる間に。片付けた。

   お昼を食べた後は、お昼寝…と。ダニエラの書き置きには、書いてあったけど。相当無理な状況。
   最近の、おもちゃは。出来がいいらしい。意外と忍は、機械いじりが好きで。分解しそうな、勢い。
   その脇で、幹が。忍の口調の、真似をする。背中に、乗っかって。ある意味で、生きて動く遊具。

   …めちゃくちゃな、この状況で。普通の“お母さん”は、一体。どうするんだろう。困ってしまう。

   「…寝そうにないね…」

   お昼寝している、その間で。自分のことを、何かしようとか。甘すぎる目論見、だったと。思い知る。
   だいたい、基本的に。融通が、利かないタイプ。ほんとに将来、心配だとか。相手も、いないのに。

   ソファに座れば。揺れながら振り返る、黒髪。茶色の瞳は、柔軟に。プランを提案してくれる。

   「んー、あれなら散歩でも行くか?腹ごなしだ」
   「散歩〜!!」
   「お片づけしてから!」

   ぽい、と。床に放り投げる、玩具。がしゃんと、音を立てたり。床に傷でもつけたら。大変だと思う。
   とはいっても。既に、床とか。意外と傷だらけで。豪奢な内装も、若干。ボロボロになりかかって。
   ダニエラは…というか、世のお母さんは…おおらかに、ならざるを得ないのだと。改めて、実感する。

   自分の趣味とか、仕事とか。どうやって、両立させているのか。しかも何人も、子供がいたりする。
   とりあえず、ざっくりと。おもちゃの箱に、放り込む。いちいちきれいに、並べたりとか。不可能で。

   「これ着て行くの?」
   「沙羅ちゃん着せて〜」
   「ちょっと待って」

   小さな帽子と、ジャケット。少し、ためらうけど。やっぱり、甘えもあるんだろう。着せてあげる。
   書き置きの下に、この家の鍵。セロテープで、貼り付けてある。その間に、忍が。取ってくれる。
   ただ…なぜか。面白くなさ気に見える、その表情。そっと、ソファの上。ジャケットを手に取って。

   広い肩。ちらりと、振り返る。目を見てしまったら、恥ずかしいから。反らしながら、そっとかける。

   「悪ぃな…お前も寒くないようにしとけよ、風邪引くから」
   「うん、」

   少し動いたら、汗ばむほどだけど。うっかりしてたら、寒くなる。繰り返して、いつも風邪を引く。
   薄い、ニット素材のコート。羽織って、準備完了。広い家は、移動も大変。群れを成して、玄関まで。

   かちゃり、と。鍵はしっかりかける。来た時と同じく、静かな住宅街。幹の高い声が、やたら響く。

   「忍、競争しよ!」
   「車が来ないところでな」
   「えー、」
   「ちゃんと手つながないと危ないよ」

   歩道があっても、飛び出したらいけない。しっかり手をつなぐ。忍は少し後ろ。いつもよりゆっくり。
   公園通りの、樹木の切れ目。れんが敷きの道。車は入れない。でも、幹はもう疲れた…らしい。
   ちょこちょこ、と。小さなスニーカーの、足の動き。遅れがちになって。やがて、止まってしまう。

   かなり違う、目線の高さ。見つめ合う。しばらくして、忍が…大体の予想は、つきつつも…聞いてみる。

   「どうした?幹」
   「忍ー、えっと…かざぐるま?」
   「それをいうなら肩車だ…ちょっと待ってろ、つか何で疑問形なんだよ」
   「きゃ、」

   そのいい間違いは…むしろ涼しい顔で、ボケるのは…もしや、亮の血筋だろうか。幹。にやり、と笑う。

   ジャケットを脱ぐ。広い背中。一瞬の間。無言で、飛んで来る。どうやら忍も、歩いて。暑いらしい。
   ぱさ、と。受け取れば。ふっと煙草の匂い。そういえば、今日は。幹と一緒だから、ずっと吸ってない。

   軽々と、担ぎ上げる。実際、忍には。何でもないこと、だろう。あたしには、たぶん持て余す重さ。

   「うわぁ、高い〜!!沙羅ちゃんより大きいよっ!!」
   「そうだね、…」
   「何だよお前、そっけねぇな」
   「…」

   きゃっきゃ、と。はしゃぐ幹と、見つめ合ったら。自動的に、忍と。顔が近づく…とか。いえるわけが。
   かすかに、赤らむ頬。あたしまでなぜか、暑くなる。すたすた歩く公園通り。脇には、小さなワゴン。
   …どうやら、軽食とか。飲み物が、あるらしい。ちらり、と。目線で。休憩したい…と。訴える。

   周りには、やっぱり。お散歩の、母子連ればかり。忍に一瞬で、集中する視線に。思わず、たじろぐ。

   「適当に買うから、席取っといてくれ」
   「うん」

   豪快に、肩車のまま。仲良くメニューを見る、男ふたり。とりあえず、肩をもんで。ほっとひと息。
   コート類一式を、椅子にかける。場所取りと涼しさ。一石二鳥の、作戦。少し休んで、すぐ引き返す。

   ワゴンの前。品定めの、仲むつまじい、後ろ姿。忍と幹。ふたりで並んで、ケースをのぞき込む。
   その、忍の姿を。そして、いっしょに来たあたしを。値踏みする視線。そんなんじゃない。なのに。
   片手で食べられる、スナック類。少し乾いた喉。何か、飲みたい。冷たいもので、気を鎮めたい。

   「沙羅ちゃん何にするの?」
   「…、えっと、…これ?」
   「あー、忍と同じだ、仲良しだ〜」
   「え、」

   指をさしたのは、ソーダ水。人口着色料の、鮮やかな青色。ふだんなら、おそらく。口にしないもの。
   てっきり、コーヒーを飲むとばかり、思っていた。忍。思わず、そっちを見れば。ほんとうらしい。

   それじゃやめる、というのも。少し気まずい。戸惑っている間に。ポケットからお財布。注文する。

   「じゃあソーダ水2つと、クリームソーダひとつでお願いします」
   「…ありがとうございます、…それにしてもあれですね、お若いパパとママですね」
   「ちっ…、違います!!」
   「照れなくてもいいんですよ?…はい、どうぞ」
   「あ、こっちでもらうんで」

   バンダナと、エプロン姿の。アルバイト風の店員さん。手早く、飲み物を注ぎつつ。爆弾発言。

   訂正しようとして。くすくす、と。笑われれば。する気力も、若干失せる。脱力感が、さらに増して。
   もうこれ以上、世間に。無駄な注目を、浴びたくない。ここに来るのも、たぶん。今日だけのこと。
   明日からは、ダニエラが…元気になって、幹を。連れて来るはず。あたしと、忍は。1日だけの代理。

   心なしか、うれしそうな…そして、なぜか訂正しない…忍が。トレイを受け取る。3つの透明なカップ。
   横目で、にらみつつ。今度はあたしが、幹の手を引いて。とりあえず確保した、席へと。移動する。

   「…」

   とん、と。…冬なのに、ソーダ水の青。テーブルの上に、小さな青空が広がる。しゅわりと、泡立つ。

   水曜日の午後は、木漏れ日の中。…いつもなら、仕事とか。してる頃。ゆったりと、時間が流れる。
   さわさわ、と。風が優しい。子供たちが、走り回る。眺める忍の、横顔も。どこか穏やかに、見える。

   ストローを、くわえたままで。ちらりと盗み見る。…長いベンチの形の、座席。間に、幹が座る。

   「いい天気だな」
   「…そうだね…幹、あーんして」
   「いいの、自分で食べるっ」

   うっかり見とれかけて。こっちを見ないまま、ぼそりと。…どうやら、ばれてないらしい。一安心する。
   ちっちゃな手に、プラスチックのスプーン。浮かぶアイスを、すくうけど。どうも、うまくいかない。
   じわ、と。涙がにじむ。もどかしく、苛立つのと同時に。ふぎゃあ、と。甘え泣きの声が、響く。

   「…アイス食べられないぃ…!!」
   「わっ、何だ?!」

   じたばたと。あっという間に、ご機嫌ななめに、なる。よく晴れた空。なのにこっちは、低気圧。

   たぶん…朝から、ずっと。ダニエラと離れて。あたしたちに、子供ながら。気を遣っていたのだろう。
   遊び相手が、来て。興奮していた、糸が。ぷつりと切れたのも、きっとある。本来は、お昼寝の頃。

   「ちょ、落ちるだろ…こら、暴れるな!」

   暴れれば、ベンチから。半分以上落ちかける、小さな身体。忍が、驚いて。ひっぱり上げようとする。
   ごちん、と。テーブルに頭が、ぶつかれば。泣き声がいっそう、激しくなる。痛かった、らしい。
   子供の扱いは、決して。見ていたら、荒くはないけど。相手が暴れたら。それはある意味、不可抗力。

   場所が、場所だから。誰も、驚きはしない。でもまた集まる、注目の視線。忍が、あやそうとする。

   「…やだ、やだぁあ〜!!」
   「ど、どうすりゃいいんだよ?何で急にこんな」
   「ちょっとだけ任せて」

   …のけぞって、全身で拒否する。さっきまで、仲良く遊んでたのに。当然戸惑う忍を、制止して。
  とりあえず、広げた腕の中に。幹を抱いて、ゆっくりと揺らす。とんとん、と。背中を優しく撫でる。

   涙にまみれた、頬。胸元に、擦り付ける。徐々に、小さくなる声。すぅ、と。寝入っていく、呼吸。
   ことこと、あたしよりも早い、脈動。ぴったりつけた、身体に伝わる。ぐったりと、重くなって。
   ちらり、と。茶色の前髪を、かき分ければ。しっかり閉じたまぶた。長いまつげ。ゆらゆら揺れる。

   何とか落ち着いたのは、見てればわかる。忍。ソーダ水を、飲み干して。ぼそりと、感想をもらす。

   「すげぇなお前って…」
   「…そうかな」
   「ちょっと待ってろ」
   「ありがと」

   とはいえ、風邪を引かせたら、申し訳ないから。何かかけなくては…と。思うけど。手は空いてない。
   そんなあたしを、見かねたのか。脱いだジャケットを、かけてくれる。ふたりでも余裕の、大きさ。
  
   ふわりと、暖かい。すぐに視線を幹へ。下手に動いたら、起こしそうで怖い。…ふと感じる、視線。

   「つか、…」
   「何?」
   「何でもねぇよ」

   ぷいっ、と。心なしか、赤らんだ頬。ちゃんと、お礼もいったし。変なことも、何もしてないのに。
   でも。腕の中で眠る、幹を見ていると。そんな気持ちも、どこかへ行く。…優しい気持ちに、なれる。
   …時折感じる、忍の視線も。優しくて穏やかに。あたしたちに、注がれる。見守られてる、優越。

   傾き始める、陽。そろそろ、上の子のお迎えなのか。ぼちぼちと、親子連れが、帰り支度を始める。
   まばゆい太陽。角度でだいたい、時間はわかる…と、聞く。ちらり、腕時計を見る仕草。一応の確認。

   立ち上がる。差し出される腕。どうやら抱っこを、代わってくれるらしい。逆光に透ける、茶色の瞳。

   「そろそろ帰ってくる頃だしな」
   「お願い」

   …非力なあたしには。幹を抱いたまま、歩いて帰るのは。至難の技。素直に、甘えることにする。

   軽々と、抱き上げる仕草。たくましい二の腕。筋肉が隆起する。見とれないように、ごみ捨てに行く。
   かけられたままの、コート。ぎゅ、と。落とさないように。あたしのコートと、まとめて持って。

   「じゃあ帰るか」
   「…うん」

   木漏れ日の、公園通り。もしかして、遠くから見たら。普通の親子連れ。何もいわずに、歩き出した。


                      *  *  *


   そして、相変らず。広い庭。さくさくと、落ち葉。とっぷりと、日が暮れて。ライトアップされて。

   さりげなく、増えたのは。SPの数。ちら、と。目線が合うたび毎に。敬礼されて、見送られる。
   どうやら、今日も亮は。帰りが遅い…らしい。暗くなれば、侵入されやすい。警戒が、強化された。

   あの後、帰って来たダニエラに。幹を、引き渡したら。帰るつもりだったけど。そうもいかない。
   お茶して、お土産のお菓子を食べて。お互い少し、近況を話して。あっという間に、夕方になった。
   お礼代わりに、夕食を…と、誘われたけど。さすがに何度も。お世話になるのも、どうかと思う。

   「…」

   たぶん、ダニエラには。見抜かれていたんだろう。お土産のケーキ。ふたり分。逆に、気を遣わせた。
   でも、思ったよりも。ずっと、元気そうで。一安心した…と。思いながら。司馬家の門を、くぐる。

   隣には、忍の姿。何となく、かわいらしいケーキの袋が、似合わない…とか。いう前に。話を反らす。

   「ダニエラ元気そうでよかったね」
   「…お前、まだ気付いてないのか?」
   「何が?」
   「何がって…、…お前あれだな、相当鈍いな」

   忍の答えは、ふぅ、と。小さなため息。どことなく、疲れた表情に見えるのは。気のせいだろうか。

   「疲れたの?」
   「まぁな、…つか親って大変だな」
   「だから…今日はありがと、…すごく心強かった、よ?」

   ぴたり、と止まる足。歩幅が、違うから。少し先を行く背中が。くるりと。あたしの方へ、振り返る。
   あたしとの、間にあった。ケーキの袋。反対の手に、持ち替える。一瞬の間を置いて。差し出される手。
   両手に、かばんとケーキとを、持ってるけど。少し強引に、取られる右手。ぎゅう、と。握られる。

   「な、何するの?」
   「…お礼、だ…俺も助かったし、…暗いしな」
   「…えーと…」

   振り払わないのが、あたしの返事…と。受け取ったらしい。忍。満足げな表情。整った横顔の、影。
   ただ。暗くてよかった…と、思う。赤くなった顔が、見えないから。見とれてるのも、ばれないから。

   少しゆっくりの、歩幅。また、住宅街を歩き出す。家々の灯りは、瞬いて。帰って来た家族を、照らす。

   …まだ、ちっちゃな手の。感覚が残る右手に。大きな、忍の手。今はあたしを、優しく守ってくれる。
   いつかきっと、幹も。ダニエラのおなかの子…男の子らしい…も。誰かの手を取る日が、来るはず。
   その時には、あたしも。“おかあさん”になって…家族と、いるんだろうか。予想も出来ない、未来。

   「じゃあ帰るかー」
   「うん」

   そして、その時にも。もしかして…忍が一緒なら、と。若干飛躍した想像。慌てて、かき消して。

   ぶらぶらと、ケーキの袋。たぶん、帰ったら。今日飲んでない、コーヒーと。煙草で、一服するはず。
   その時は、少し煙たいけど。いっしょに、紅茶を淹れて。今日の話で、盛り上がろう…と。思う。

   ふわり、と。風が吹く。影絵の木々が、揺れる。その横を、ふたり並んで。駅前へと、歩き始めた。


   《終》



NAKAの隠し部屋・乙女堂本舗【Reboot】NAKAさまより、サプライズお祝いいただいてしまいましたっ!

以前、二人の臨時パパママ話をしたことがあったのですが、それを見事ステキ作品にしてくださいましたv
幹くんのかわいさもさることながら、ビミョーに張り合ってる忍くんがかわいすぎる…///
子どもちゃんを通して、お互いに(代理ではありますが)『母親』『父親』の顔を見てちょっと照れくさいような…
初々しい(そして司馬家の思うツボなw)二人がとってもキュートでしたっ!

そして忘れちゃいけないお食事シーン(シリーズ化)。
今回はオムライスです〜vぶぅ大好物です〜vでも作るの苦手(知らんがな)
今回もいい食べっぷり、沙羅ちゃんが見とれちゃうのにも納得です!

NAKAさま、とってもステキなお祝いをありがとうございました。

2011.11.5