カーテンの向こうは、薄く。灰色の空と、落ちる雨。街の灯りは、逆に。少しずつ消える。そんな頃。
      まさか、今頃から。出て行くヤツは、さすがにいない。いわゆるベッドタウン。始発も走らない。
   
   もちろん、帰って来るのも。特異ケースだろう。空いた道路。誰とも、すれ違わずに。入った部屋。
   
   「…」

   食か、着替えか。少し悩んで。着替えるなら、ひとっ風呂…なのは。隣りで眠る、沙羅のため。
   
   湿気の混じる、部屋。ほかほか、と。肩先や髪から、上がる湯気。かぶったバスタオルで、拭く。
   徐々に、冷えて行く身体。シャワーだけは、さすがに厳しい。でも。湯がたまるのも、時間がかかる。
   バカは風邪を引かない…とか。限りなく、ポジティブかつ、ものぐさないいわけ。即実行した。

   濡れた髪は、いつもより。癖が強い。ドライヤーは、面倒だから。いつも、自然乾燥で済ませる。
   シャワーの音で、気付かなかったけど。洗面所に、いつのまにやら。用意されていた、着替え。
   
   ボタンが、多いのは。面倒で、好きじゃない。白くやわらかな、Tシャツ。長袖に、衣替えした夜着。
   
   …つい、この間までは。怒られつつ、半袖や…ことと場合によっては、何も、着てなかった。けど。

   季節の流れは、速い。それは、仕事がたまるわけだ…、と。自嘲の笑み。また、髪を拭く合間に。

   「あ、…」

   思わず、小さく。声を上げてしまう。リビングの、テーブル。座る場所は、ふたりとも。決めている。
   “俺”の、定位置に。ほかほか、湯気が立つ。肉の焼ける匂いと。丸みを帯びた、パンらしきもの。
   吸い寄せられる、意識。タオルを、首にかけて。少し早足で、リビングを横切って。そっちへ向かう。
   
   ぐうぅ、と。鳴る腹の音。誰も聞いてない。なのに思わず、赤面する。何とも、わかりやすい、俺。

   ほぼ、徹夜明け状態。もちろん、基地は昼夜問わず、動いてるから。食堂も、軽食は、扱ってる。
   ただ…調達したり、食いに行ったり…とかの、時間が惜しい。…締切もあるし。明日は、休む身の上。
 
   それ以上に。“味”が違う、なんて。いったら、食堂のおばちゃんに、怒られるかも、知れないけれど。

   定食の、飯は。頼まなくても、大盛りにしてくれるし。安くて、ボリュームはある。野郎向けの味。
   …種類も昔よりは、増えた。もちろん、基地が山の中じゃ。食材が、調達出来ないから。無理もない。
   じわり、と。口の中、広がる唾液。…目の前には、食い慣れて。それでも、何よりうまい、料理。
  
   「…」

   静かに、椅子を引く。傍らの寝息。耳を澄ます。ソファの上、寝息を立ててる。沙羅が。作ったもの。
   薄い闇の中。規則正しく、響く。揺れる赤い髪に隠れて。見えない横顔。アイボリのパジャマ。

   小さく合わせる、両手。いただきます、と。無言で告げる。浅い眠りでも、起きないと。再確認して。
     


             ただいま。【Home,Sweet Home】



   薄暗い、ダイニング。本来なら、灯りを点けた方が。行動はしやすい。でも。あえて点けないまま。
   台所からの、小さな光。頼りにして、着地する。いつもの“俺”の場所。並ぶ、皿やカップ類。

   「うまそう…ぁ、」

   小声のつぶやきに。また、口を押さえる。起こしてしまったら、また。世話をかけてしまうから。

   …ただ、妙な時間に、帰ってくれば。どれだけ、静かに行動した、つもりでも。沙羅は、起きて来る。
   寝ないで待つのだけは、しない。俺とした約束だけは、守ってるから。怒ることは、出来ない。
   
   そうして、起きて来たら。細々と、世話を焼いてくれる。今日は、どうしても。眠気に負けたらしい。

   大ぶりのカップ。いつもなら、コーヒーが入ってる、それに。今日は温めた、ミルクが入っている。
   どうやら苦肉の策、らしい。その隣に、小さな。冷たい水のコップは、一気にあおる。喉を潤す。
   風呂には、漬かってないけど。それなりに、喉は渇く。優しい気配りに、感謝しながら。そっと置く。
   
   沙羅ひとりの夕飯は、おそらく。ハンバーグだった、らしい。…食べやすく、パンにはさんである。

   ぐぅ、と。今度は、喉が鳴る。近寄ればなお、いい匂い。食欲をそそる。手を伸ばして、かじりつく。
   白い皿には、こぶりなそれが、ふたつ。ひとつめは、空腹に勝てないまま。一気に、胃に消える。

   少々、行儀悪く。肉汁が、滴った指。舐めながら、もうひとつに、手を伸ばす。今度は、味わって。
   …添えてあったらしい、レタスと。トマトは、切りなおしたらしい。小さなダイス型。口当りがいい。
   荒めの、玉ねぎ。しっかりつけられた、焼き目は。俺の好み。1回いっただけで、そうしてくれる。

   少し冷めて、固まりつつあるチーズ。さっきは気付かなかった。…それほどに、飢えていた、らしい。
   
   反対の手。ホットミルクは、熱々より少し、低めの温度。食事を、邪魔しないように。素のままの。
   するすると、飲みながら。また、ハンバーグサンドへ戻る。…行ったり来たり、の。至福の時間。

   ぺろ、と。今度は、マヨネーズが、口の端についてる気配。伸ばした舌。舐め取って、味わって。

   苦しくもなく、もの足りなくもない。絶妙な量。はふぅ、と。大満足のため息。薄い闇に、消える。
   少し残した、冷たい水。くい、と。一気に飲み干して。口直しには、最適。でも、眠気には勝てない。
   小さく、伸びをする。程よい満腹感。…このまま寝てしまったら。さぞ、幸福だと思う。けれど。
   
   「…」

   立ち上がる。すっかり乾いた、髪。いつしか、床に落ちてた、バスタオル。無造作に、首にかける。
   皿と、マグカップ。あとは、コップ。まとめて、流し台へ。水が張られてる、洗い桶に。そっと漬ける。

   バスタオルは、明日洗う。置きがてら、洗面所へ入る。洗濯機へ、放り込みつつ。くわえる歯ブラシ。
   もちろん歯磨きは、基本中の基本。しないと、キスすら出来ないから。重要な…むしろ、死活問題。
   手ぐしで、整えて…その端から、ぴこ、とはねる、髪。しばらく、格闘の後。あきらめることにする。
   
   何よりも、早く。出てやりたかった“理由”。…すぐそこの、ソファに。ぐっすりと、眠ってるから。

   ひざまづく。健やかな寝息。座って、肘掛にもたれた形。起きて待ってるつもり、だったらしい。
   長く赤い髪は、さらりと。ソファの座面に流れてる。かすかな身じろぎ。いい匂いは、シャンプーの。

   白い寝巻きの上。羽織ったショール。それ以上に、白い肌。艶めいたくちびる。長くて濃いまつげ。
   すぅすぅ、と。動く胸元。やわらかな存在感。布の上からも、わかる。細いウェスト。長い脚。
   …まるで…昔読んだ、童話に出て来た。“眠り姫”みたいだとか。思ってしまう。うっかり見とれる。

   とはいえここは、普通のマンション。起こす俺に、至っては。間違っても、王子様じゃないし。

   「…んん、…?…」

   寒そうな、身じろぎ。慌てて、本来の目的を、思い出す。そっと、手を伸ばしながら。声をかける。

   「風邪引くぞ」
  
   返事は、待つ必要はない。細くて軽い身体。両手で優しく、抱き上げる。いつもよりも、要注意。

   明日、病院に行けば。全てが、明らかになるらしい。男には、わからない。ただ待つしか出来ない。
   いっしょに、行きたいから。…もちろん沙羅は、最初は遠慮したけど…強引に、休むための。残業で。
   
   ただもう。明日じゃなくて…“今日”のこと。日付は、とうに変わって。沙羅にも、無理をさせた。

   「ごめ、…、寝、ちゃってた…?…ご飯、は?」
   「いやこっちこそ、…遅くに悪かった、でもうまかった」
  
   会話しながら、寝室へ向かう。足で開けるドア。行儀が悪いのは、いつものこと。でも、怒られない。
   それほど、沙羅も眠いのか。とろりとした、口調。…何とか、瞬きで。意識を保っている、らしい。

   「…よかった、…」
   「それ、いつものことだろ?」

   そう。作ってくれる飯は、いつもうまい。もちろん、食わずに。仕事をしてたのも、あるけれど。
   そっと、ベッドの上。ショールを取り払ってから、横たえる。小さなテーブルが、いつもの置き場。
   窓に近い側が、俺の位置。回り込んで、乗っかれば。きし、と。スプリングが、軋んで。悲鳴。

   いつも、大きな目が。眠気に潤んで、俺を見る。…かすかな、でも。優しい笑顔。伸びて来る腕。

   「…うぅん、…無事に、帰っ、て来たから、…ね、?、…」
   「…、…」
   
   どうやら、いつものごとく。はねている髪を、直しているつもり、らしい。頭を撫でる、その動き。
   胸いっぱいに、広がるのはいとおしさ。口にするには、恥ずかしくて。でも、抑えきれない感情。

   …そうして、俺の頭を撫でながら。半ば閉じた、まぶた。微笑む形の、くちびる。伝播する幸せ。
   動きが、止まりがちになる手。痛くないよう、そっと外せば。きゅ、と。俺の胸元の、夜着を握る。
   いっしょに、暮らし始めた…むしろ、初めて夜を、共にしてからの…ささいな。でも愛らしい、くせ。

   「起こして悪かったな、…おやすみ」
   「ん、…おやすみなさ…」

   言葉の途中で、途切れる意識。眠気には、勝てないらしい。疲れている。沙羅にも、仕事があるし。
   ちゅ、と。口づけるのは、白い額。なめらかで、極上の感触。何度もしたいけど。あきらめる。

   …眠り姫は、王子のキスで、目覚める。でも、今は。ゆっくり、休めるように。ただ祈りながら。

   「…ただいま…」

   帰って来た時に、いえなかった。その言葉。ぼそりと、つぶやいて。俺もまたゆっくり、目を閉じる。

   世界中の、どこに。飛んで行ったとしても。俺の帰る場所は。ここだけ。そして今は、その腕の中。
   抱いている。抱かれている。どちらともとれず、ひとつになる。とろとろ、と。訪れるまどろみ。
   雨の音。静かな寝息。混じり合った鼓動。ぬくもりに、満たされつつ。快い眠りに、落ちて行った。


   《終》



NAKAの隠し部屋・乙女堂本舗【Reboot】、NAKAさまより、
フリーSSをいただいてまいりました。

お互いのお互いに対する愛情、労わり、そんなあったかな感情がすっごく伝わって、うっとりでございます。
そして『がつがつ食べる男の人萌え』のぶぅとしては、忍くんのお食事シーンもはずせません!
指をなめるとか、口の端をぺろっとするとか…反則行為オンパレードでもう大変でした(笑)

NAKAさま、ステキなお話ありがとうございました。
そして今年もいろいろと、お世話になりました。
ぜひ来年も、よろしくお願いいたします。

2010.12.16