玄関の扉を開く前に、いつものように、ポストをのぞく。

ダイレクトメールと、新聞の夕刊。その間に。
隠れるように挟まっている、白い味気ない封筒。

それを見て私は、いつものように、心を躍らせた。




手紙




きっかけは、偶然買った雑誌の読者コーナー。
そこに記されていたのは、

『文通相手募集しています』

たった、これだけ。
今の時代に文通って…。しかもこんなそっけない文面に、返事を書く人なんて、いるんだろうか。
変な人もいるもんだ。その時は、そんなふうに思っただけだった。

でも、次の月も、その次の月も、そのコーナーにはその一文が載り続けた。

そして『新開翔』という、投稿者の名前も。

いったいどんな人なんだろう。と、私が興味を持つのに、さほど時間はかからなかった。


『雑誌、拝見しました。とってもシンプルな文だったけど、お返事はたくさんもらえましたか?』

そして程なくして届いた最初の手紙には、

『お返事ありがとうございます。やっぱりシンプルすぎたでしょうか?でも、十分です。
あなたからお返事をいただけましたから』

丁寧な言葉遣いとは裏腹に、紙の上を踊るような乱雑な字。
やっぱり変な人。でも、嫌いじゃないかも。

私は嬉しくなって、すぐに返事を書くためにペンを執った。


それから半年。
手紙のやり取りは、月に2、3回程度。

内容は、好きなテレビ番組の話だったり、友達の話だったり、いろいろなこと。

彼は、私の知らないことをたくさん話してくれて、そんな話を聞くのはおもしろかったし、
私の悩み事には、とても的確なアドバイスをくれたりした。

時間がたつごとに、手紙を書くこと、それから届いた返事の封を切ることは、私の特別な楽しみになった。


そして今日も、足早に部屋に入ると封筒を開く。
中から現れたのは、封筒と同じ、味気ない白い便箋。そして、乱れた字。
いつものように読み進め、ふと、最後の1行に目を奪われる。

そこにはこう書いてあった。

『今度、会いませんか?』


待ち合わせは、2人の住所のちょうど真ん中辺りにある公園に決めた。
顔も素性も知らない人に会うことに不安がないわけではなかったけど、
博識で、聞き上手。繊細に見えて、その手から紡がれる文字は似合わないほど荒っぽい。

そんな不思議な彼と、直接話をしてみたいという気持ちが勝って、迷った末にOKの返事を出した。

『当日は、白いワンピースを着て時計の前にいるので、声を掛けてください』
『わかりました。今から白いワンピースが大流行しないことを願ってます』


彼の返事を思い出して、私は1人、微笑んだ。

もうすぐ約束の時間。
心臓が、早くもドキドキと鳴り始める。

そういえば、声を掛けてとは書いたけど、彼の特徴を全然聞いていなかった。
幸い白いワンピースを着ているのは私しかいなかったから、すぐに見つかるとは思うのだけど、
向こうからはわかって、こっちからはわからないというのは、不公平な気がする。

私はきょろきょろと辺りを見回すと、それらしい人影を探した。

子供連れのお母さん、散歩に来ている老夫婦、ベンチでおしゃべりを楽しんでいる女の子たち。
当てはまるような人は見つからず、諦めてため息をついたそのとき。

「黒山十花さんですか?」

後ろからした声に、
「はい。そうです…って…?!」
振り向いて。その瞬間。

私は驚きのあまりに言葉を失った。

「新開翔です。初めまして」
にっこり笑って、軽く頭を下げる彼。

「あ…の…」
「白いワンピース、1人だけでしたね」

よかった、なんて、胸をなでおろしてる。
釘付けになったままの私は、口をパクパクさせるしかできないというのに。

…やっぱり、変な人だ。


***


「じゃあ、こんなところで話もなんですから喫茶店にでもいきませんか?」
「あ…はい…」
私は彼に促されるまま、後ろをついていった。
彼はチャコールグレーの上品なスーツに、小さな黒のハンドバッグを持っているだけだった。
そして
年が重ねられていることを示す銀色の髪。一体この人は幾つなんだろう?


気がつけば街によくあるレトロな喫茶店に入っていた。
彼は慣れた様子でホットコーヒーを頼んでいる。

「黒山さんは何にしますか?今日は私のおごりですから、遠慮せずになんでもどうぞ」
「え、えっとじゃあ…レモンティーをホットで…」
「それからチーズケーキを」
彼が私の言葉のあとにすかさず付け加えた。戸惑う私に、彼はにこっと顔をしわくちゃにさせた。
「ここのチーズケーキはおいしいんですよ」
でも、私が戸惑っているのはそんなことではなくて
「あのー…新開さんは、失礼ですがお幾つですか?」
そうですね、と彼は優しく微笑んだ。
「私はもう76歳になるんですよ。驚いたでしょう?」
それは当然のこと。
だって買った雑誌はどう考えたって70代のおじいさんが読むような雑誌ではなかったし、
だからって年齢をうかがわせるような手紙の内容はあまりなかったし…

「歳を取るとどうもね、することが無くていけない。」

いつのまにか机の上に置かれていたホットコーヒーをすすりながら、彼は言った。
「それで文通相手を探していたんですね?」
「そうそう。妻も友人も先立たれてしまって、話をする相手がどんどん減っていってね。
私自身も病気を患ってしまっているからね。」

かちゃり、とコーヒーカップが音を立てる。

「ああ、そうそう手紙の字が読みにくいだろう?
病気のおかげでうまく字を書くことも出来なくなってしまってね、申し訳ないけれど。」

彼は私が疑問に思っていることを、私が問いかける前に答えてくれた。
彼は答えながらも、てきぱきと出されたコーヒーとチーズケーキを平らげている。

気がつけば私のレモンティーから立つ湯気は、いつの間にか消えていた。

「時に黒山さん、貴方もお若いのに文通に興味をもたれるとは…」
「えっ…ああ、はい。おかしいですか?」
いいや、と彼は首を横に振る。
「このご時勢に手紙をやりとりするという、古風なことをする若い人がいるんだなと感心したのですよ。
今時は…メールとやらですか?」
少したどたどしく彼は言った。確かに古風ではあったけれど、授業中や友達との話は手紙でやりとりはしている。それに
「あの、私は携帯を持っていなくって。」
「それはお珍しい。どうしてまた?」
「親が大学に入ってからだと制限していて…ごめんなさい、もし携帯電話をお持ちでしたらもっとたくさん話せたのでしょうけど…」
いいえ、と彼はゆっくりと首を横にふった。

「あの文通のペースだからこそ楽しいのですよ。封をあけるときのドキドキした気持ち、
どんな内容が帰ってくるかどうかの期待感が一番楽しいと思いませんか?」

それから、彼とは他愛もない会話をした。

彼の死んだ奥さんの話、私の今の悩み、住んでいる街のケーキ屋さんの話、
最初は緊張していたけれど、彼の柔らかい笑顔にだんだんとほぐされていくのがわかった。

気がつけば学校の友達以上に楽しくしゃべっていた。


「さて、そろそろ出ましょう。もう日が暮れる。」
そう言うと彼は黒い小さな鞄と伝票を静かに持って、私より先に出口へと向かった。
古びたレジスターがレトロな金属音をあげる。私は彼にお礼を言うと、彼の後ろに続いて喫茶店の外へと出る。
彼は私が出るまで扉を支えていた。

「ありがとうございました、黒山さん。とても楽しかったですよ。」
「私も楽しかったです。また手紙、書きますね。」

彼は満面の笑みで頷いてくれた。私もその笑みにつられてつい、顔がほころぶ。

「変わったお方ですね、見ず知らずの人間にまた手紙を書いてくれるとは…」
「新開さんこそ、あんな若い女性向けの雑誌に投稿されるなんて変わってますよ。」

そう言って、二人でくすくすと笑う。彼は「行きましょう」と言うと、私を駅まで送ってくれた。
そして、まるで友達と別れるかのように手を振って別れた。


それからも、私はポストの中に白い味気のない封筒がないか楽しみにする毎日が続いた。

他愛のない話を、文字で綴る。
他愛のない話を、文字で感じる。

文字でのお喋りは、私の大事な場所になっている。



2008.9.20