クローゼットにしまいこんであった浴衣の
紺地に涼しげな花模様、頭に浮かんだけど。

ただでさえ、覚悟を決めたことに、
自分でも戸惑っているのに。
張り切ってる、なんて、思われるのも恥ずかしかったし。

いつにない緊張をごまかすように、
あえて選ぶのは何気ない服装。

何気なくサンダルを引っ掛けて、急ぎ足に玄関を出た。




summer banquet〜夏の華〜




色とりどりに飾られた屋台の並ぶ道は、普段の閑散とした河川敷からは想像もつかない。
耳に届くにぎやかな声、鼻をくすぐる独特の、甘さと香ばしさの混ざった匂い。

隣を歩く忍の横顔は、なんだかうれしそうで、きらきらと目を輝かせて辺りを見回してる姿はまるで。

「…子供みたい」

呟く私に、いつもなら口をとがらせて言い返してくるのに、

「だってお前から誘ってくるなんて、思わなかったからさ」

緩やかな弧を描いたままの唇。照れくさくて、思わず、目をそらした。


花火が始まるまでにはまだ少し時間があって、人々は屋台を眺めながら、見物席のほうに向かっていた。

その波に流されるように歩いていると、ふいに、屋台の前に立つある人物の姿を見つける。

長身の男。
肩より長い茶色の髪を無造作にまとめるのは、トレードマークのバンダナ。

それはまぎれもなく私たちのよくよく知っている人物で。
…ただ、その人物だとすれば、こんなにぎやかな場所を好む質ではないはず。

「ねぇ、あれって…」
だから思わず、忍に確かめる。

「亮…だよな…?」
忍も自信なさげに私を見た。どうやら考えたことは同じだったらしい。

「もしかして他人の空似ってやつかしら…」
「いや、それにしたって似すぎだって…」
こそこそと話していると、

「忍さん、沙羅さん!いらしてたんですね!?」

弾んだ声。その男の向こう側から顔を出したのは、

「ダニエラ?!」
「…て、ことはやっぱり…」

ダニエラがぺこりと頭を下げると、隣にいた男…やっぱり亮、も、ちらりとこちらに視線を投げた。


「珍しいじゃねぇか、お前がこんなとこ来るなんて」
「たまにはいいだろう?」
物珍しそうに覗き込む忍に、亮はやれやれといった感じに肩をすくめる。

「あの…私がわがまま言ったんです。お祭りに行ってみたいって。無理やり付き合わせちゃって…」

取り繕うように微笑んだダニエラに、
「いや、確かに最初は頼まれたからだったが…来てみると、いいものだ。浴衣の着心地も悪くない」
亮は言って、袖を広げてみせる。そういえば2人とも、涼しげな浴衣姿。

「ダニエラが着付けたの?」

私の問いかけに、ダニエラは恥ずかしそうにうつむいた。

「本を見て、見様見真似でやってみたんですけど、なかなかうまくいかなくて…」
「そんなことないわよ。帯もきれいに結べてるし、初めてとは思えない」
「ほんとに?よかった…」

ぱあっと明るくなる表情に、つられて笑みをこぼしたのは、私と忍だけじゃなくて。


「どうした?沙羅」

もう少し屋台を見て行くと言う2人と別れて、歩き出す道。
思い出し笑いの私に、忍が怪訝そうに尋ねる。

「亮もずいぶん丸くなったなぁ、なんて思ってね」

本当に穏やかな表情をするようになった。
以前だったら、あんなふうに笑ったりはしなかったのに。

それはもちろん、戦いの緊迫した空気から、解き放たれたこともあるだろう。
でも、それより。

もう一度、振り返る。

亮の隣に、寄り添う笑顔のその人。
彼女こそが、何よりも彼を変えた原因であるように思えて。

「そうだな…」
忍も同じように感じたのか、相槌の後に、ふっと笑いを漏らした。


見物席といっても、川原に下りる石段にシートを敷いただけの場所。
それでも開始時間が近づくと、大勢の人が集まっていた。

人波をかきわけて確保した席は、2人で座るには少し狭くて、
散々言い合いしながらなんとか落ち着いたと思ったら、

「なあ、沙羅」
「なに…。…!」

呼ばれて振り向くと、思った以上に近かった距離に戸惑う。

「お前も、浴衣着てくればよかったのに」

それからその言葉にも。

確かに、周りを見ると華やかな模様、目に入るけど。
さっき会ったダニエラの、可憐な浴衣姿も。いいなぁと思ったけど。少しは。
でも、今日は…

「あの、急だったから…」

とりあえず、当たり障りのない言い訳を口にする。

「そんなに時間かかるもんなのか?」
「そ…そうよっ」

もちろん本当は、仕事柄着付けなんて慣れてるし、時間がなかったなんていうのは、うそだったけど。

迷った挙句、やめにしたことは、心にしまって。

「ふ〜ん…」
忍はどこか釈然としない表情で頭を掻いた。

と、その時。

耳を劈く、でも、どこか心地よい音とともに、夜空に開く大きな花。

気まずい話が途切れたことに、安堵することさえ忘れる。

咲いては消えるその姿に、目を奪われて。
色とりどりの花で、視界がいっぱいになる瞬間、
高鳴る胸。苦しいぐらいに。

隣の忍を盗み見る。やっぱり、思ったより近い距離。

光と音への高揚も手伝って、いつも以上にどきりとさせられる。

空を見上げる横顔は凛として。出会った頃よりずっと大人びて。
それだけ長い月日を、いっしょに経てきたんだと実感する。

子どもっぽくて、いけ好かないやつだと思ってた頃。苦楽を共にした仲間だった頃。
いつの間にか、心を支えてくれる存在になって。そして…。

視線を落とすと、無防備に投げ出された手。もう少しで触れそうで。
少しだけ指を伸ばしてみて…すぐに、はっとする。

別に、今さら触れるのだって初めてではなかったけど。
自分から求めることなんて、誘いの言葉以上に…。

短いため息とともに、大人しく膝の上に帰ろうとした手は。それなのに。

「んだよ、遠慮すんなよ」

空を見上げたままで、つぶやく声に、強引に引っ張られる。

「っ…?」

気づかれていないつもりだったから。だって忍は上ばかり見てたから。

自分の行動が恥ずかしくて、手に力をこめたけど、
指を絡められれば、もう、何一つ抵抗できずに。

夜空を彩る光が、音が、思い切り赤くなった顔と、早鐘のような鼓動を隠してくれるのを、ただただ願うだけ、だった。


会場を後にする人々に追い立てられるように歩きながら、忍がやたらと嬉しそうなその理由…を考えるのはやめにする。
あれから私は、もちろん花火どころではなく…やっとなんとか平静を取り戻したのだから。

「やっぱり浴衣で来りゃよかったのに…」

前を行く艶やかな装いの女の子たち。ちらりと視線をやって、つぶやく忍に、

「しつこいなぁ…だから時間がなかったっていってるじゃない」
別段腹が立っていたわけではなかったけど、わざと不快そうに返した。

やっぱり…慣れないことはするもんじゃない。いくら神様に背中を押されたって。

「どんだけ時間かかるかしらねぇけど、そんなら次は、1ヶ月ぐらい前から誘ってやるよ」
「できるもんならやってみなさいよ」

憎まれ口の応酬になれば、いつも通り、調子を取り戻せると思ったのだけど。

「だいたい、浴衣の子だったらいっぱいいるじゃない。なにも私が着ること…」
「あのなぁ…」

忍が突然立ち止まるから、反射的に振り向くと。
当然、絡まる視線。

「俺はお前のが見たいんだ!…って、言わなきゃわかんねぇのかよ!」

油断した…!そう思ったときにはもう遅くて。

一気にまた、体の奥からこみ上げる熱に、耐え切れずうつむく。
どんどん赤くなる頬、見られたくないのに、隠してくれた光や音はとっくにやんでしまっている。


もう一度、大きな花火があがればいいのに。
そんな願いは、叶うはずもなく。

夏の終わりの匂いを纏った風は、
ほてった頬を撫でて通り過ぎるだけで。


嬉しそう、というよりむしろ得意げな足取りで。
歩く忍の後を、私は。

一歩も二歩も下がって、追いかけるしかなかった。




2008.8.25


『invitation〜誘いの言葉〜』の続編です。
続編を決意させてくださったりおまさまのリクにお答えして、亮さん(&ダニエラ)を登場させたものの…やっぱり難しい〜(泣)