夢を見た。
何度目かわからないぐらいの、悲しい夢。

でもきっと、それも今日が最後。

目尻に溜まった涙のしずくを指先でぬぐうと、
私は勢いよくベッドから抜け出した。

天気は晴れ。
鉢植えが、心地良さそうに日光浴する窓際。
開け放つと吹き込む風は、そろそろ、春色。




そばに。―springtime―




知らされている到着時刻は、夕方。

ひととおり部屋を整えて、時計を見ると、まだ11時。
どう考えても、早すぎる支度。
それでも、居ても立ってもいられない。

クローゼットを開けると目に入るのは、
あいつが好きだと言っていた、春物のワンピース。
去年は、思い出すのが辛くて、結局着ることができないままだった。

手にとって、鏡の前。
季節的にはまだ少し早いけど、ジャケットを羽織ればなんとかなるだろう。
肌を滑る、久しぶりの感覚。思わず、胸が高鳴った。


忍が、いつの間にか私の家に転がり込むようになったのは、
もう何年前なんだろう。

それならと、少し広い部屋を借りて、
家具も二人用に買い換えて。

それは正式ではないけど、世間的に言えば…。

もちろん、お互いに仕事もあったし、
すれ違いは少なくなかった。
それでも、帰る場所は同じ。幸せ、だった。

でも。

ある日突然、その時はやって来た。



「沙羅、話がある…」

神妙な面持ち。
視線をはずして唇を噛み締める仕草で、
それがあまりいい知らせじゃないことなんて、わかってたけど。

「行かなくちゃ、いけなくなった…」

その短い言葉が、すべてを物語っていた。
一瞬、頭が真っ白になった。

軍に所属している以上、避けられない配属の移動。
もちろん、知らないわけじゃない。
いつかこんな日が来ることは、承知の上だった。

でも。小さいけれど永遠に続いていきそうな幸せを、信じていたくて。
目を、背けてきた。

「どこ…?」

何とか紡ぎ出した言葉に、返ってきた答えは。
遠い異国の、街の名。
近頃、内戦が激しい地域だと、ニュースで耳にしたことがある。

「出発は…?」
「来週の頭…」
「…」
「…ずっとってわけじゃないんだ。ただ…1年か、2年か…」

それきり黙り込んでしまった私に、忍はぽつり、ぽつりと呟いて。
それから。

「…ごめん」

言って、私を抱きしめた。

その時。
素直に泣ければよかったのに。

「ごめんな…また…」

忍が、あまりにも悲しげな声で言うから。
そして途切れたその続きも、わかってしまうから。

もしかしたら。私以上に心を痛めているかもしれないその人に。

「荷造り…手伝うよ」

そんな、見え透いた言葉しか、言えなかった。


残りの時間が慌しく過ぎて、あっという間に出発の日が来ても、
私は涙を飲み込んだままだった。

「行ってくる」
「忘れ物、ない?」
「あぁ…それじゃ」

背を向けざまに片手を挙げるのは、いつもと同じ。
きっと忍なりの気遣い。
そして、

「気をつけて」

最後にかける言葉も、敢えていつもと同じ。

バタンとドアが閉まると、それきり訪れた静寂。
飲み込む必要のなくなった涙が、込み上げようとした。その時。

「悪ぃ、忘れもんだ」
「…っ?」

突然、ドアが開いたかと思ったら。
抱き寄せられて。唇を、奪われて。

「じゃあな」

名残なんて、残さないぐらいの一瞬の出来事。
ただ、呆然と。見送るしかなかった。



あの時。
涙が溢れる前でよかった。

ふと、そんなことを思いながら。
鏡に映る自分を見つめる。

早すぎる支度も、そろそろ終盤に差し掛かって。
明るい表情。自分でも、驚くぐらい。

口に出して、素直には言えないくせに。

やっぱり、こんなにも。
忍を求めてること。

嬉しい反面、少し、気恥ずかしくて。
思わず苦笑した。

もう一度、時計を見る。

支給された航空券があるから、帰りは飛行機でと、数日前の電話。
だから空港まで、迎えに行くつもりではあった。

それにしたって。
まだ、時間はありすぎるけど。

私の足は、玄関へと向かった。
まるで、次の展開へ急ぐみたいに。

でも。

私が手をかけるより早く、鍵は回った。
理由を考えるよりも早く、ドアは開いて。

のぞく、黒髪。

「え、っと…」

視線をそらす、照れたような表情と。

「時間まで待ってらんねぇから…結局イーグルで帰ってきちまった」

低く掠れる声。
それは。まぎれもなく。

私が求めていた、すべて。

「…って、待ちきれなかったのは、お互い様らしいな」

言われて、はっとする。
まさに出かける直前といった出で立ち。
ニヤリと不敵な笑みを送られて、顔が熱くなるけど。

「バカっ…」

口を開いたら、もう堪えきれずに。
こぼれる、大粒の涙。

受け止めるように、広い胸、抱きしめられる。

「ったくお前は…行くときも帰って来ても泣くんだな」

斜め上からの、呆れたような口調。

「気づいてた…の?」
「…当たり前だろ」

驚いて見上げた私に、返事はぼそりと無愛想だけど。
強がろうとする気持ちさえも、すべて掬われて。

「…おかえり…」

ただ、そんな素直な言葉だけが、口をついて溢れた。



夢を見た。

知らない場所。辺りを見回して。
ざわりと疼く胸の奥。

その時。
ふわりと体を包む、暖かい感触。
まるで、春の日差しのような。

とたんに、芽生えた不安は姿を消して。
代わりに胸を満たすのは、幸福感。

噛み締めるように、微笑んで。また歩き出す。

知らない場所。それでも。
すぐそばに、確かなぬくもりを感じて。




2010.3.28


出会いと別れの季節、春…を意識して書いてみましたが、
いかがでしたでしょうか?
だいぶ前に書いた『you gat mail』は、きっとこの赴任中の話なんだろうと後付で妄想(笑)

かくいうぶぅも、新生活開始です。次にお会いするときには、新生ぶぅとしてここに戻ってこれたらなと思います。

それではまた!