毎年この時期になると、咲き乱れるその花。

ほのかにピンク色に色づいたその花びらは
季節の中のほんの一瞬を彩る。


今年もまた――――




桜舞い散る




手を引かれて着いた先には、大きくそびえ立つ桜の木。
それ以外には、何もなくて。私たち以外には、誰もいなくて。
 
来る途中に通り過ぎてきた賑やかな光景とは正反対の、静かな場所。

「な、穴場だろ、ここ」
ニッと子供のような笑顔になる忍。
穴場も何も、これだけ山の斜面を登れば人がいないのは当然のことで、
かかとの高い靴で来なくてよかった、と心底胸をなでおろす。
「場所取り頼むぜ。俺、飲物買ってくるから」
そんなことしなくたって、誰も来ないって。
思いながらも、今登りきったばかりの斜面をまた降りていく後姿を見送る。
落ち着きないなあ、なんて、肩をすくめながら。

 
ただでさえ休みが合わない私たちにとって、花見に来るのは簡単なことじゃない。
特に、今も軍に残って働いている忍には、突然の仕事が舞い込むことも多くて。

桜の花は、見ごろを迎えてほんの1週間ほどで、その命を散らしてしまうから。

その間に、風や雨のいたずらがあったらなおのこと、その命は削られてしまうから。


奇跡みたいに、すべてのタイミングがあったのが今日。

 
木の下に腰掛け上を仰ぐと、大きく張り出した枝が広がり、淡いピンク色が視界を埋め尽くす。
色にあふれた世界が遮られ、軽い眠気を感じながら、私は小さく息を吐いた。

「間に合ってよかったな」
と、背後から忍の声。
振り向くと、ほら、と買ってきたペットボトルを渡してくれる。
まだ少し肌寒い今日の気温を考えてか、選んでくれたホットティーが手のひらに温かい。
「ありがと。間に合ったって…何が?」
「桜だよ。今年ももう、あとちょっとだな」
見上げる大木の花はまさに満開を迎えており、心地よく吹く風にさえ、はらはらとその花を散らしている。
忍は、私の横に同じように腰を下ろすと、花に目をやりながらつぶやいた。
「みんなでわいわい騒ぐのもいいけど、こうやって静かに花を見るってのも悪くないな」
「あら、あんたも大人になったねぇ」
私は思わず目を丸くして返してしまう。
そうすると、後はいつものやりとりが始まるわけで。
「なんだと?!」
「…あ、今の取り消し。やっぱりまだ子どもだ」
「沙羅、てめぇ…」
くすくすと笑う私に忍が食って掛かろうとしたその時。

「あ…っ…」

突風が吹きぬける。

ひときわ多くの花びらが、こぼれて舞い散る。まるで吹雪のように。

その光景は息を呑むほど美しく、でも、儚くて。

「どうした?沙羅」
急に黙り込んで下を向いた私に、忍は不思議そうに声をかける。
私はうつむいたまま口を開いた。
「…きれいだけど、なんだか悲しい花…」
「え?」
「だってすぐに散っちゃうでしょ?せっかくこんなにきれいに咲いたのに…」
手のひらを差し出すと、はらりと落ちる、花びらが一枚。
この一枚すらも、彼らの命の欠片。

忍はしばらく黙っていたけど、急にフッと笑った気配がした。
「なーに辛気臭いこと言ってんだよ」
相変わらずだな、お前は。言われて、ちょっとムッとする。
にらみつけた目に少したじろぎながら、忍は続けた。
「なにも死んじまうわけじゃないんだぜ?また来年花咲かすために、長い眠りが必要なだけさ」
「眠り…?」
意外な言葉に、私は思わず聞き返す。
「ああ。で、しっかり力を蓄えて、次の年にも必ず立派な花をつける」
少し上を見上げる忍の横顔。
癖のある黒髪が、桜吹雪の白に映えて。思わずドキリとする。
そんな柄でもない自分を悟られないように、私はいつものように、憎まれ口をたたいた。

「なるほどね…あんたにしては、ましな解釈じゃない?」

案の定不機嫌そうに尖らせた口は、

「うるせぇな…」
案の定不満な言葉を返した。


 「来年も、見に来るぞ」
視線は上に向けたまま、あまりにもはっきりと言い放ったけれど、
今日ここに来れたことさえ奇跡だったことを考えると、私は肩をすくめずにはいられなかった。
「ずいぶん自信満々だけど、急に仕事が入った、なんていってよく予定を変更させてるのは、どこの誰かしら?」
「うっ…」
図星だったらしく、忍は一瞬固まった。
「…来年がだめなら、また再来年来りゃあいいだろ?」
「再来年もだめだったら?」
私はいじわるく追い討ちをかける。
「そしたらその次だ」
「その次も…!」

だめだったら?今度は言い終える前に、ぐっと肩を引き寄せられる。
突然のことに、抵抗する間もないまま、私は忍の肩口にことりと頭を落とした。

「その次もだめだったらその次だ。しつこいぞお前」

押し問答に窮した忍がおかしくて、私は笑いをこらえながら、付き合ってあげるわ、とうなずいた。

またそよぐ、風。
舞い散るのは花びら。


ほのかにピンク色に色づいた桜の花びらは
季節の中のほんの一瞬を彩る。
今年も。来年も。その次の年も。

そして私たちはこの場所に立って、その一瞬を眺める。
来年がだめなら、再来年。再来年がだめなら、その次の年に――――



儚いはずの桜の花びらに、永遠が見えた気がした。




2008.4.4



2008年、桜SS。初の季節モノ。
ぶぅの、季節に追われる制作はここから始まっております(笑)