漁師町の一日




とっぷりと日の暮れた村に、今日も宿屋の灯が煌く。宿屋はいつものように旅人を迎え入れ、明日へと誘う。
漁師町であるこの村の宿では、その日取れた海産物を食堂で出しているのがウリだった。
それを目当てに訪れる人も少なくない。
そんなことを知ってか知らずか、オステット・マクノリーモは黙々と古びた木の机で1人、新鮮な海の幸を口に運んでいる。

今日のメニューは焼き魚と茶褐色のスープ、野菜の煮物、そして色々な種類の穀物が入った主食である。

焼き魚にはなんのソースもかかっておらず、塩だけでシンプルに焼いたものだった。
野菜はどこの村にでもあるようなものだったが、スープだけは諸国を放浪しているオステットにとって初めてのものだった。


オステットは愛用の長剣を携え、剣の腕を磨くためにあちこちで傭兵仕事をしていた。
その場で稼いだお金が彼の旅行資金である。

そんな旅を19歳から続けているうちに、諸国の色々な技を身につけることができた彼は、
いつしかそこそこ名の知れた有名人となっていたのだった。

(この村の剣技はやはり変わっているな)

黙々と食物を口に運びながらそんなことを考える。
オステットはその日の昼にこの村に到着し、到着するなり早速村の剣の稽古場の門をたたいたのだった。
諸国を放浪し技を身に着けてきて10年が経っているとはいえ、この村の戦い方は一風変わったようで勝つことが出来なかったようだ。

(明日もう一度やってみよう。それにはまず戦い方の分析をして作戦をたてないとな)

だが、慣れない戦い方に必死だったオステットは、その一戦を詳しく思い返すことが出来ない。
そんな彼の思考に宿屋の女将の言葉が飛び込んでくる。

「お兄さん、見たところ剣士のようだねぇ」

声をかけられてオステットは顔を上げた。
確かにオステットは屈強そうな腕の筋肉、よく焼けた肌に、無駄のない短い茶色の髪といった格好だった。
何よりも愛用の剣は肌身離さず脇に抱えてある。

「この村に来たのは初めてかい?」
「ああ、色々な土地の剣の技を見に来ている。」

へぇ、と女将は頷いた。

「なるほど、道理で魚の食べ方が慣れていないと思ったよ。」
見ればオステットの焼き魚は、骨から外した身がぼろぼろと散り、あまりキレイとはいえない状態だった。

「魚料理はあまり食べなくて。・・・このスープは初めて飲んだが、不思議なものだな」
「ミソシルって言ってね。野菜とワカメを入れて飲むのがこの村の特徴さ。」
「ワカメ?」

聞いたことのない名前にオステットは聞き返した。

「海草だよ。ほら、その緑色のものがそうさ。体にいいんだよ」

これか、とサジですくいあげる。

「それは毎日漁師達が船を出して採るんだよ。だから新鮮でおいしい。」

自信たっぷりに女将はそう言った。
なるほどね、と頷きながらオステットはお椀に入ったスープをすする。
ほんのり磯の香りがし、加えてミソの甘いような辛いような不思議な味が口に広がる。
それをじっくり味わってから飲み込んで、椀を置いた。

「この村の者達は皆漁師なのか?」
「そうだねぇ、皆海から海産物を採って生活をしている。朝早くから船を出してね、決まった漁場に網を張るのさ。
海が時化て出られないときは網を修理したり、加工品を作ったりする。」

(その合間に剣技を磨くのだろうな。)

「漁師とは・・・どのようなものだ?魚を採るといっても色々苦労がありそうだが」

うーん、と女将は腕を組む。

「取れる日もあれば取れない日もあるからねぇ。それに波が高いときは海に飲まれてしまうことだってある。
山と違うのはそこが『海』だってことだね。いつだって危険が隣にあるところだ。逃げも隠れも出来ないからね。」
「確かに山は走って逃げることも出来るし、木の上に逃げることだって出来る。」

そう自分で言ってオステットは1人で頷いた。

(その生活があの独特の剣技を生み出しているのかもしれないな)

「ありがとう、いい話を聞いたよ。それにこのスープも気に入った。」


部屋に戻り、オステットは、女将の話をもう一度思い出してみた。

朝早くから船を出して、海産物を採る。
それも、危険と隣り合わせの、海の上で。

この土地の剣技に勝つためには、どうやら『漁師』という仕事を知る必要があるようだ。

オステットは、そう結論付けていた。


次の日の早朝。
オステットは、漁師たちの船が停まる船着場を、散歩がてら訪れていた。
すると、沖に向かって次々と船が出て行く中、一台だけ、ぽつりとその場に取り残された小さな船が目に入った。
オステットが、ぼんやりとそれを見つめていると、

「おい新人!!なにやってるんだ、早く出な」

どん、と、背中を誰かにどつかれる。
驚いて振り向くと、そこには恰幅のいい漁師の男が立っていた。

「え?し、新人??」

何のことかわからずオステットが聞き返すと、

「今日が初めてなんだろ?親方に一緒に出るように言われてんだ。さっさと行くぞ」
「えっ?いや、誰かと間違えてるんじゃ…俺は違…」

男は、オステットの言葉に耳も貸さずに、船に乗り込んでしまった。

「お前も早く来な!」

ぐいと服の袖を引っ張られて、オステットは、ほとんど落ちるような勢いで甲板に降り立った。


耳を劈く船のエンジン音。
波が織り成す調べと、不規則な揺れ。

村を出て30分もたたないうちに、オステットは甲板の上でうずくまることになる。

「なんだ、もう船酔いか?だらしねぇな」

頭の上から降ってくる男の声でさえ、今は気分を逆なでする。
漁師という仕事の大変さを、オステットはすでに身をもって感じていた。

「横になってな。少しは楽になるからよ」

言われたとおり、甲板に横たわってみる。しかし、

「うわっぷ!!」

船が揺れた瞬間に跳ね飛んだ波しぶきが、容赦なくオステットに襲い掛かる。

「げほっ!ごほっ!!」
「あぁ、わりぃわりぃ」

男は大して悪びれた様子もなく、
咳き込むオステットを見てむしろ楽しんでるようにすら見える。

「おっと、そうこうしてる間に俺たちの漁場だぜ。さあ新人、網を張りな」
「いや、だから俺は新人じゃな…」
「いいから!魚が逃げちまうぜ」

なんで俺がこんなことを…。
そんな思いがこみ上げてきたが、これも剣技を極めるため。
相手に勝つには、まず相手を知ることからとは、よく言ったものだ。

オステットは、半ばヤケになりながら網を手に取る。
そしてそれを海に投げ入れようとした瞬間、

「アホかお前は!!どうやって引き上げるつもりだ?
網の片方は船に固定して、それから投げ入れるんだ。そんな基礎も知らねぇのか?」

また、怒鳴られる。

やっと網を投げ込んだら、今度は引き上げ方だの、魚を新鮮なまま持ち帰る方法だの、甲板の掃除だの…

ありとあらゆることを叩き込まれて、獲物を持って船着場に戻ることには、オステットはくたくたに疲れ果てていた。


その夜。
オステットは、昨日と同じ木の机で食事をしていた。
今日のメニューは、生魚の切り身と海産物のフライ、それにあの茶褐色のスープもついている。

「今日はやけに機嫌がいいね」

昨日と同じ調子で、女将が声を掛けてきた。
まあな、と、オステットは笑って返す。

「実はこの切り身の魚は、俺たちが採ったんだ」
「え!?あんた、漁に行ってきたのかい?」
「…なりゆきでな」

あの後、村に帰ってから人違いに気づいた漁師の男には平謝りされたが、
怪我の功名。いい経験ができたとオステットは感じていた。

この村の剣技が強い理由。
それは剣の腕だけではなく、すべてにおいて豪快な、強靭な精神を、彼らが持っているからなのだ。
それはこれまで旅したどの国にも、そして自分にもなかった強さ。

もっとその『技』を極めてみたい思いに駆られる。

「なあ、聞きたいことがある」

オステットは、食事の手を止めて、女将に尋ねた。

「明日は焼き魚?」
「さあね。その日に取れたものでメニューは決まるからね」
「そうか…それなら、俺が獲物を取ってくるから、明日は焼き魚にしてくれ。それから」

言って、手にした箸をカチカチと動かしてみせる。

「うまい魚の食べ方も、教えてほしい」

女将は、一瞬きょとんとして、それからすぐに、くすくすと笑いながら答えた。

「お安い御用だよ」




2009.11.29