飾り気のない金属で出来たそれは、どれも同じような形。
キーケースの中、無造作にぶら下がっている。
でも、その中の一つはやっぱり特別で。

ただ、然るべき用途に使ったことは、一度しかない。

それでも。
いつも、どこかで、繋がっていられる。そんな証のように思えた。

私にとって、お守りのようなもの、それで十分だった。




Promise for you




「そういやウチの鍵、持ってたよな?」

ふいに尋ねられて、

「え?持ってるけど…」

どうして急にそんなことを聞くのか、不思議に思って返す。

鍵を渡されたのは、もう、何年も前。

約束の時間に帰れそうにないから、部屋で待っててほしい。

そんな電話の後、わざわざ事務所までバイクで届けにきた。
あの時は、散々周りに冷やかされて、それは恥ずかしい思いをしたけど。
その時から忍の部屋の鍵は、当たり前のようにキーケースの一角を陣取ってきた。

だから。

「使わねぇみたいだし、ちょっと返してもらってもいいか?」

こう、言われたときには、正直言葉に詰まってしまって。
でも、抗う理由も見つからなくて。

言われるままに、キーケースから鍵を1つ、はずす。

見た目には何の変哲もないそれを、
差し出された手の平の中に、静かに落とした。


『使わねぇみたいだし』

あいつが言った通りだから。
手元になくたって、困ることなんて何一つ。

でも。満員御礼だったキーケースの中、ぽっかりとできた空白は、
どこか、心許なく感じた。


次の、約束の日。その日は、私の誕生日だった。

鍵のことは、あれ以来電話でも話題に上ることはなかった。
だから、忍の真意はわからないまま。

もしかしたら、愛想を尽かされてしまったのかもしれない、とか。
何か、よくない知らせの前触れなんだろうか、とか。
この数週間、散々不安に苛まれてきたから。
心なしか足取りも重くなり、いつもの待ち合わせ場所、少し遅れ気味に到着した。

人通りの多い時間。それでも目立つ長身。
向こうもすぐに私に気づいて、持っていた煙草をもみ消す。

いつもどおりの、人懐っこい笑顔。
作り笑いなんて出来ない性分だって知ってるから、
ひとまず胸を撫で下ろしたけど。
それでも小さな不安はちくちくと刺さって。

「遅れるなんて珍しいな。なんかあったのか?」
「う、ううん…ごめん」
「ま、なんもなきゃいいさ。主役は遅れて登場、ってな」

冗談めかしてニヤリと笑った忍に、返した笑みは力なくこぼれた。


前に一度、行ってみたいと言ったレストラン。忍は覚えていてくれたらしい。
ビルの高層階にあるそのお店で、料理と夜景を楽しんで。
その後は、雰囲気のいいバーでカクテルを飲みながら、いつものように語り合って。

店を出て、並んで歩く頃には、もう11時をまわっていた。

道沿いのお店はほとんどが閉店して、
明かりがついているのは、居酒屋と、24時間営業のコンビニぐらい。
そのコンビニの前、寄っていいか?と目配せに、了解を返す。

煙草と飲み物の入った袋を左手に提げて、
右手はポケットに突っ込んで。
隣を歩く、歩幅は少し、ゆっくりめ。
ちらりと、その横顔を盗み見る。

結局、私の不安が的中する出来事は、何一つ起こらなかった。
取り越し苦労…だったのだろうか。
でも、じゃあ、どうして…。
そんなことを考えていると、

「なぁ、沙羅…」
「っ!」

突然、改まって名前を呼ばれて、
私は体を硬くした。

胸を刺す不安が、再び首をもたげてくる。
やっぱり。もしかしたら。
こらえきれず、両手を胸の前で握り締めた。

「これ…」

と、忍はポケットから何かを取り出した。

「え…?な…に…?」

突きつけられたのは、小さな包みだった。
思わず、忍の顔と交互に見つめる。
忍は、ふい、と目を逸らして。

「何って…今日、何の日だよ」
「そ、そうだけど…」

状況から普通に考えれば、誕生日プレゼント、なんだろうけど。
すっかり縮こまってしまっていた私の頭には、思いも寄らないことだったし。
さらにそれは、プレゼントというにはあまりにも無骨な包装。
リボンがかかっているわけでもなければ、袋すら、どこかのお店のロゴが入って。
一瞬戸惑っても、それは仕方ないと思えるような代物だった。

「あ、ありがと」

握っていた手を開くと、そこに落とされる、かすかな重み。
それは、何か知ってるもののような。

「あ…」

私は急いで袋を開けてみた。

「これって…!」

中には、見覚えのある銀色。
どれも似たような形をしてはいるけど、
私にとって唯一特別だった、忍の部屋の、鍵。

「今度こそ、ちゃんともらってくれよな」

忍は目を合わせないままで続ける。

「お前、使うの遠慮してただろ。最初のとき以外、絶対外で時間つぶすようにしてたし」
「…っ、それはっ…たまたま用事があったりしただけ…」

見え透いた、嘘。
きっと忍にだってわかってる。
でも忍は、肯定も否定もしなかった。
ただ、こう言った。

「考えてることは、なんとなくわかっちまうけどな…」


あの日。
言われたとおりに部屋で忍の帰りを待った。
時間があったので、近くのスーパーで食材を買ってきて、夕食の準備をした。

ちょうど、部屋に美味しそうな香りが充満するころ、忍が帰ってきた。

「メシ作ってくれてんのか?」

忍は嬉しそうに言って、私は、

「お帰り。もうできるから」

そんなふうに返して。
幸せかもしれない。そう感じた。

忍の帰りが遅かったから、偶然こういう展開になっただけ。
そのはずだったのに。

かすかに思ってしまった。
こんな日が、続けばいいのにと。

そしてその瞬間、たまらなく怖くなった。

私はそれ以来、一度も鍵を使わなかった。

ただの同期生から仲間へ。仲間から、愛する人へ。
踏み出すたびに、時間を、勇気を、たくさん要した。
踏み出すたびに、幸せと表裏一体についてくるのは、別離の不安だった。

お互いの部屋を、いつでも行き来できる関係。
今の私たちよりも、また一歩、踏み込んだ関係。

きっと、もっと、幸福で。だけど。
その代償として、不安で居たたまれなくなる。
それが、怖かったから。


忍は、そんな私に気づいて、それで。

「…ごめん」
「謝ることねぇよ…」
「でも、…」
「俺は」

否定しかけた私を、忍が遮る。

「俺は…もっとお前に近づきてぇから」
「っ…」

直球で、胸に刺さる言葉。
投げつけられて、それきり黙りこむしかない。

「お前が踏み出せないなら、俺がそっちに行く。お前が逃げても、追いかける。約束する。だから…」

ぶっきらぼうな口調、不機嫌そうにも聞こえる声は、
少し、照れてる証拠。
それから、誠実の、証。

「それ…もらってくれねぇか」

もう一度、申し出は。
今度は、視線を合わせて。

霞む、視界。
ごまかすように瞬きをして。

私も。大きな一歩は無理でも、小さな一歩を。踏み出す努力を。
一緒なら、きっと。

うなずく代わり、忍の空いた右手に指を絡めた。


分かれ道が近づくと、急に忍が何かを思いついたように立ち止まった。

「どうしたの?」
「いや、早速で悪いんだけど、俺の部屋の鍵開けてくんねぇか」
「え?」
「両手、ふさがっちまった」

確かに、左手にはついさっき買い物した袋。
右手には私の左手。
ふさがってはいるけど。
それは一緒に歩く間だけのことで。

「手、はなせばいいでしょ」
「はなさねぇし」
「はぁ?!」

私から握ったはずなのに、いつの間にか形勢逆転した指。
忍がはなさないと、はなれない。

ニッと、人の悪い笑み。
謀られたと気づいて、慌てて反論したけど。

「無理だって。明日仕事だし…」
「それはお互いさまだろ」
「だったらなおさら…」
「俺も朝早いから、送ってやれるぜ?」
「…」


結局、簡単に言いくるめられて。
忍のマンションの前。

本当に、手をはなしてくれないから。
片手で何とか鍵を取り出して、鍵穴にさしこんで。

当たり前だけど、ぴったりと合ったそれは、少しの力でくるりと回る。

がちゃん。錠の、動く音。

おかしいぐらいにドキドキするのは、きっと、これが小さな一歩だから。

「今度はお守りにすんじゃねぇぞ」

振り向くと、いたずらっぽい笑みを浮かべた忍に、
私は笑って、こくんとうなずいた。




2010.7.7


2010年沙羅ちゃんお誕生日SSでした。

『特別な日』も『約束』も、形はないけどお互いにとってなにより嬉しいもの…ということで、今年の2人の誕生日は、『物より思い出』でお送りいたしました(違)
合鍵ってなんか特別な感じしますよね〜。使わなくても。というぶぅの経験から(!)生まれた本作でしたが、お誕生日なのに前半ちょっと暗めでごめんなさい;書いてる間、早く後半行きたくて仕方なかったです(笑)

あっという間にお誕生日祝いも3回目。
4回目も5回目も、ずっとお祝いできたらいいなと思いますvv