窓の外、おなじみの景色は、『終わり』が近づく合図。
軋む胸の奥。運転席の横顔を盗み見る。

隠しきれない、疲れの色。噛み殺す、何度目かのあくび。
連日の激務の、その間だってこと。私も知ってる。だから。

早く、帰してあげたい。ゆっくり休んでほしい。
顔を見れば、そんな思いが、わがままな感情を宥めてくれると思ったのに。
むしろ、逆効果。けだるい表情が、色っぽい。なんて。

ゆっくりと、でも確実に、終点に向かって進む。その車内で。

乾いた唇が余計なことを言い出さないように。
ただただ、うつむいて。口を、つぐんだ。




end=start




少し前までは、大きなショーを控えて、私が忙しくて。会えない日が続いた。
それが終わったと思ったら、今度は忍が。

ようやく折り合いがついた先週の休みも、急な召集でキャンセルになって。
それで今日、仕事を少し早く切り上げて、誘ってくれた。

最初は、遠慮しようと思った。
今日のしわ寄せは明日、明後日に。それに次の休みもまだまだ先。でも。

『俺の気分転換に付き合うと思えばいいだろ?』

そんな言葉に甘えて。

食事をして、映画を見て、早々に解散する。
そんな、ある意味『定番』のコースなら。負担も少ない。そう、思ったのに。

やっぱり最初から、断ればよかったと思う。

離れたくなくなる、なんて。



無理は、言いたくない。言わないって決めてる。
私が忙しい時、忍は。いつも何も言わずに、待っててくれるから。

それなのに。

目の前の信号が赤に変わると、静かになるエンジン音の代わり、鼓動がドキドキと高鳴る。
襟元を気にするふり、慌てて胸を押さえる。

今口を開けば、きっと。気持ちは、あふれ出してしまう。
だから、黙ったままで。苦しくなった呼吸だけ、整えて。

でも。息を継ぐだけのつもりで開いた唇は。
理性が働く前に、勝手に動いて。

「喉…渇かない?」

しまった、なんて思っても、もう遅い。

「そうだな…どっか寄ってくか」

快い同意の言葉に、罪悪感のため息が落ちた。



近くのカフェで、小一時間の「時間稼ぎ」。

仕事のこととか、さっき見た映画のこととか。
他愛もない話。笑いあって。

相変わらず、疲れた素振りなんて微塵も見せないから。
余計に申し訳なくなる。それでも。

組んだ長い足とか。
カップに伸ばす大きな手とか。無骨なのにきれいな指とか。
鋭く、凛々しく。それでいて優しすぎる、鳶色の瞳とか。

見とれて、絆されて。そうしたら満たされると、思ってた。…思おうとしてた。
ホントはわかってる。満たされるどころか、その反対なのだと。


あっという間、時間は過ぎて。
重い足取り、乗り込んだ車は、もうすぐ最後の交差点。

また疼きだす胸。やり過ごしたくて。
うつむいて。目を閉じて。じっと通り過ぎるのを待つ。

ここを過ぎれば、マンションは目と鼻の先だから。
さすがにもう、観念せざるを得ないから。

でも。

そんな覚悟をよそに、車はスピードを緩めて、やがて停まる。
顔を上げると、目の前の信号はまた、赤。
まるで私を、試すように。

「…っ…」

同じこと、繰り返したとしても。何も変わらない。むしろ逆効果だってことは、実証済み。
正論に、納得しようとする自分と。

少しでも遠回りできそうな道に、考えをめぐらせる、どうしようもない自分と。

葛藤の、末。



ガラス張りの扉の外、タバコをふかしている姿、横目に見ながら吐き出すのは、自己嫌悪のため息。
私の気持ちと正反対の、必要以上に明るい店内。思わず、目がくらむ。

コンビニは、交差点からだと、来た道を少し戻った方向にしかない。
…もちろん、わかってて指定した、わけだけど。

当然、これといった用事があるわけでもない。
不審な挙動を悟られないように。パンとフルーツジュースと。適当に選んで店を出る。

「お、すんだか?」
「うん…朝食のパン、切らしちゃって…」

屈託のない表情、直視できなくて。
聞かれてもないのに、尤もらしい理由、白々しく告げる。

「そっか。じゃ、行…」
「あっ、いいよ、最後まで…」

タバコを揉み消す仕草を思わず制止したのも、気遣いというよりは。
きっとただ、少しでも、引き止めたかっただけだから。

「悪ぃな…」

そんな返事も、心苦しくて。
立ち昇る煙を追うふりをして、目をそらした。



『二度あることは三度ある』…とはよく言ったもので.
同じ交差点。また、赤信号。つかまって。
でも今度こそは、必死に口をつぐむ。こっちは『三度目の正直』。

満たされることなく、痛いままの胸。
でもこれ以上、わがままに付き合わせるわけにはいかない。覚悟を決める。と。

「なぁ沙羅…」

ふいに、忍が口を開いた。

「…なに?」

せっかく固めた決心、揺らがないように。
目はそらしたままで返したけど。

「次はどこだ?銀行でも行くか?」

冗談めかした声に。思わず顔を上げる。

「なっ…」
「お前さ、…」

ぶつかったのは、にい、といたずらな笑み。

「帰りたくねぇんなら、そう言いな?」
「…っ」

かぁ、と頭に血が昇る。
どう考えても見え見えの行動…だったかもしれないけど。
言い当てられれば、黙り込むしかない。

意地悪く覗き込む表情。思わず目をそらす。と。

「あー…でも…。悪ぃ、明日も早いからさ…」

ばつの悪そうな声。飛んでくる。
容易に想定できる結論に。落胆、というより、もう。

最後の最後まで、忍を振り回して。身勝手すぎる自分に、相応の結果。
口元に浮かぶ笑みは、自嘲気味の。でも。

「うん、わかってる。ごめ…」
「俺んちでもいいか?」
「ん…ぇ…?」

続いた言葉は、予想外の内容。
間の抜けた声と、同じぐらい。間の抜けた表情、してたんだろう。
忍は、ぷ、と吹き出した。

「まさか、断るわけねぇだろ」
「っ、でも…疲れてるんじゃ、」
「散々引き止めといて、それ、言うか?」
「…」

正直、返す言葉はなくて。



再び、走り出す車。窓の外。
おなじみの景色が過ぎて、『終わり』は『始まり』に変わる。

さっきまでの苦しさが嘘みたいに、軽くなった胸。
単純さに、我ながら呆れる。

「それにしても、」

運転席。切り出す口調は、どこかからかうような。

「珍しいよな、お前のほうから誘ってくるなんてさ」
「違っ…誘って、なんか…」

もごもごと、口ごもるのは。

帰りたくない。離れたくない。そして。
…その手に触れたい。触れられたい。

そんな気持ちがずっと胸の奥、くすぶってたこと。否定はできないから。

「その気にさせた責任は、取ってもらわねぇとな」

にやにやと人の悪い笑みを浮かべる忍に。

「もう、バカ…」

赤らんだ頬も、昂る鼓動も、隠せないままで。
完全に八つ当たりの、悪態をついた。




2012.12.23


みなさまお久しぶり&お待たせいたしましたの(そして年内最後の)更新です。

今さら4周年記念ってわけでもないし、季節感もまったくないですが…;
とりあえず、年内に出せてよかったです…(低すぎるハードル)

ホントに今年はバタバタした一年でしたが、なんとかここまで走ってこられました…
来年もまた、時間の許す限り楽しく妄想したいと思います。

それでは皆さま、よいお年をお迎えください。