戸棚の奥から取り出した、真新しいボトルは。
淡いピンクのラベル。散りばめられた花模様。
照れくさくなるくらいに、かわいらしいデザイン。
やっぱり、一瞬、躊躇するけど。

思い切って、キャップに手をかけた。

きつすぎるのは好みじゃない。
落とす雫はほんの少し。

あいつは、気づくだろうか。

小さな小さな仕掛け。
ほのかに纏った、春の香り。




cherry blossom




外は、これでもかというほど穏やかな気候。
桜前線も順調に北上して、見頃を迎えた花たちが艶やかに咲き誇る。そんな季節。

でも、私たちがいるのは。
それとは正反対の、部屋の中。季節感も何もない。
あるのは簡素なイスに机。白い壁。
やっぱり白いシーツに覆われたベッド。それぐらい。

「くっそ〜…もう限界だぜ…」

そしてそんなベッドの上、包帯で痛々しく固定された足、投げ出して。
思いっきり不機嫌な表情で忍がこぼした。

演習中の事故。
後輩を庇って自分が怪我するなんて。忍らしいと言えば、忍らしい。けど。

骨折までいたらなかったのは、不幸中の幸い。
それでもしばらくは安静の身。

「まだ三日目でしょ。ちょっとぐらいガマンしなさいよ」
「んなこと言ったって無理」
「もう…」

軍の管轄の病院だから。とりあえず、個室は確保されてるけど。
窮屈なのに変わりはない。

むす、と唇を尖らす忍の気持ちはわかる。でも、無理をすれば治りは遅くなるから。
仕事の合間、毎日顔を出すのは。監視の意味も、実は含んでたりする。


と、窓の外に視線を投げていた忍がふいに呟いた。

「そういや、桜…」
「え…?」

その口から出た言葉に、思わず顔を上げる。

「いや、花見、行きそびれちまったな、と思ってさ…」
「えっ?あぁ、うん…」

相槌を打ちながら。
一瞬高鳴りかけた胸の理由。耳の後ろ、そっと指で撫でる。


前に事務所の同僚からもらったきり、自分には似合わない気がしてしまいこんでた。
少し甘めの香り。

『チェリーブロッサム』。
まさにその花の名を持つ香水。

外の陽気と対照的な、窮屈な空間、閉じ込められて。
きっとふてくされてるに違いない忍に。
少しでも新しい季節、感じてほしくて。

…でも、残念ながらというか、案の定というか。
勇気を出した、初めての出番は。
どうやら、自己満足に終わりそうだ。


「…さて、とっ…」

気持ちを切り替えるように、息をついて。
時計を見やる。そろそろ時間。

「もう帰んのか?」
「うん。今日、これからミーティングだから…。っと、荷物ここに置いとくね」
「あぁ、さんきゅ」

着替えやらなにやら、頼まれたものと。退屈しのぎに雑誌とかも、詰め込んできた。
立ち上がる代わり、イスの上に乗せて。

「じゃ、また…」
「あ、沙羅」

足を踏み出した途端、名前を呼ばれて向き直る。

「なに…?」
「…荷物、そこじゃ届かねぇ、かも」

そんな主張。腕をパタパタとやりながら。
子どもみたいな仕草に、吹き出しそうになる。

「なーに甘えてんのよ…」
「いいだろ?こんなときぐらい…」

…まあ、確かに少し距離はある。仕方なく、イスの位置を調節する。

「これぐらい?」
「ん〜…まだだな」
「…ここ?」
「もうちょい」
「…もう、横着しすぎ、っ…?」

イスの足が、ベッドにごつんとぶつかって。
はっとして顔を上げる。

悪だくみの、表情。

「オッケー、そこでいい」

気づいたときには、時すでに遅し。強引に腕を引かれて。

「…ぁっ…」

ぐらりと崩れた体勢。ベッドの上、半分だけ起こした忍の体に、寄りかかるように着地。
ぎゅ、と抱きすくめられる。

「捕まえた。これでやっと充電できる」
「はぁ?!」
「…ずっと触ってなかったからな。危うく電池切れるところだったぜ…」
「もぅ…バカなこと言ってないで、…っ?!」

非難めいた声、完全無視で。
今度はくんくんと、鼻を鳴らす。まるで、子犬みたいに。
くすぐったさに、思わず身を捩る。

「なに、やってんの、よっ…!」
「さっきから気になってたんだけどさ、何の匂いだっけ、これ…」
「え…?」

気づいてた、らしい。密やかに仕掛けた香り。
その事実に、ちょっと驚きつつ。

「…桜餅…?」
「…『餅』はいらないから…」

…その発想には呆れ返るしかない。

でも、肩口あたり、うっとりと顔をうずめられたら。
胸の奥、きゅんと疼いて。怒る気なんて、失せてしまう。

「すげぇ、いい匂い。腹減ってきた…」
「だから、食べ物じゃないっ、て…」

いつの間にか、くい、と上向かされる顎。
絡む視線。くらくらと、酔わされて、吸い寄せられて…

「…って、ちょっと!」

危ういところで、我に返る。
慌てて体を引き剥がすと。

「…っんだよ〜…」

明らかに不満げな表情、不満げな声、飛んでくる。

「こんなとこで、何考えてんのよっ!」
「いいだろ、誰もいねぇし」
「ぃっ、いいわけないでしょ!!」

あがった心拍数、隠すように。荒げる声。
ひっくり返って。迫力は皆無。

「ケガ人なんだから、大人しくしてなさいよね!!」

なんとか睨みをきかせるけど。努力の甲斐もなく。
忍は、にやりと笑みを浮かべて言った。

「じゃ、治ったらさっきの続き…約束な」
「ちょっ、何でそうなるん、…っ…!」

経緯不明の申し出に、当然、口をつく反論の言葉。
でも、言い終わる前に、再び腕を掴まれて。

「約束してくれなきゃ…大人しくできねぇかも?」

口調はからかい半分。なのに。
さっきの余韻で、体はあっという間に熱を帯びてくる。

「っ…もう、好きにすればっ?!」

結局、先に根負けしたのは私のほう。

「よーし、そんじゃ一刻も早く治して、続きやらねぇと…て、いてっ!」

せめてもの報復。
得意げに笑う忍の頭、悔しまぎれ、ぽか、と叩いてやった。

急上昇した体温で、余計に立ち昇った甘い匂い。
頭から爪先まで、桜の色香に染まりながら。



2011.4.14


2011年桜SSでしたー。
とはいえ、成分少ないどころか一切登場しないので、もはや桜SSではない気もします(笑)
時期的にも1週間ぐらい遅…(以下略)

ぶぅは香水とかつけないので全然知らないのですが、書くに当たって検索してみたところ、桜の香水、実在するようです。
香りについては想像でしかないんですけどね…購入してみることも考えたのですが、絶対使わないし(色気なし)。もしお持ちの方いらっしゃったら、ぜひ教えてくださいませ。

そして相変わらず寸止めカップル(すごい命名)なうちのお二人なのです。
攻め攻めへの道のりはまだ遠そうです、Nさまっw(私信)