忘れられない味
町に着いたのは、もう、日も暮れかけたころだった。
日に日に太陽が沈む時間が早くなり、吹く風の冷たさも、秋の訪れを告げている。
そろそろ店じまいを始める商店。
反対に、明かりが灯る酒場。
家路に着く人々。
夕刻の、慌しい空気をかきわけながら、俺は今日の宿へと向かった。
生まれ育った町を出て、もう何年になるだろう。
始めの頃こそ、森で迷ったり、瀕死の怪我を負うこともあったが、
今では気ままに一人旅を楽しめるほど、体力的にも、精神的にも余裕が出てきていた。
旅の目的も、そのときによって変わった。
あるときは、珍しい鉱物があるという洞窟を訪れたり、
あるときは、町を襲うモンスターを退治したり。
時には目的すらなく、興味の赴くままに歩き続けるときもあった。
ちょうど、今みたいに。
旅をする口実がなくなれば、故郷に帰る他はなくなる。
そうなれば、また始まるのは罵声を浴びせられ続ける日々。
それが怖くて、逃げるように旅を続けていた。
いつの間にか、恐れていた存在に近い年齢にまでなってしまったというのに。
「いらっしゃいませ。お泊りですか」
宿屋のドアを開けると、支配人らしき男が声を掛けてきた。
「あぁ。1人だ」
顔を見るでもなく、フロントに金の入った袋を置く。
無愛想は、子どもの頃から。
母親に言われて、多少の愛想は身につけたが、
どうせ1日限りの出会い。誰も文句を言いはしないだろう。
それに、厳しいながらも俺の唯一の味方だったその人は、
もう、この世にはいない。
「では、ここにお名前を」
返ってくるのは丁寧な言葉。
あまりの温度差に多少の苛立ちを覚えながら、
差し出された紙を受取る。
右手側に置かれたペン。取るのは、左手。
憎みあっても、罵り合っても、血は争えない証。
さらさらと走らせる文字。簡単に、姓だけを記して。
それを見ていた男が、ふいに息を呑んだ。
「『マクノリーモ』…?もしかして、オステット…?」
その名を呼ばれて、俺は初めて顔を上げて、目の前の男を見た。
明るい茶色の髪。蒼い瞳。歳の割にあどけない表情。
「お前…ノジェク?ノジェク・ソクターか…?」
久しぶりに口にする名前。
懐かしさと、驚きで声が震える。
「覚えててくれたんだ。久しぶり」
年月を経て多少精悍になった顔つきが、昔と同じようにほころんだ。
ノジェクとは、とある町で出会った。
もう、ずいぶん前のことだ。
ともに家出中の身。年の頃も同じぐらいで、冒険者としても初心者だった。
共通点を多く持つ俺たちは意気投合し、程なく2人で冒険をするようになった。
剣を振るうことしか知らなかった俺に、ノジェクは魔法というものを使って見せた。
それは新鮮で、未知に溢れていて、ますます俺を冒険にのめりこませた。
同じ境遇同士。これからは一緒に旅を続けていける。
俺はそう信じて疑わなかった。
でも。
『家業を継ぐことになったから、春になったら故郷に戻らなくちゃいけないんだ』
ノジェクがそう告げたのは、本当に突然のことで。
まだ子どもだった俺には、簡単に受け入れることができなかった。
結局。
別れの言葉も言わず、見送ることもせずに、
俺はノジェクの元を離れた。
「家業が宿屋だとは聞いていたけど、まさかこの町だったとはな」
俺はノジェクを部屋に招き入れ、酒を酌み交わしながら積もる話に花を咲かせた。
異国で仕入れてきた酒は、癖が強く、度数も高い。
それでも再会の日の祝杯にはぴったりだった。
「君は?冒険を続けてるところを見ると、まだお父さんとは和解してないわけだ」
久しぶりに飲むという酒に、すっかり頬を上気させながらノジェクが言った。
俺は肩をすくめると、大げさに笑ってみせた。
「まあな。一生かかっても無理ってやつかもしれねぇな」
「そうか…」
俺の言葉に、ノジェクはなぜか、少し寂しそうに微笑んだ。
「ノジェクはえらいよな、親の家業をついでこうやって宿屋の経営者をやって・・・」
「最初は乗り気じゃなかったけどね」
くい、と俺はグラスに僅かに残っていた酒を飲み干した。
「・・・俺はやっぱり受け入れられないんだよな、まだ。」
「確かオステットの実家はレストランだったっけな?」
「そう、父親が料理人で母親が切り盛りをしてた。小さい町のレストランさ。」
ふと思い浮かぶ我が家兼レストラン。
そう大きくはないが、小さな店内はそれなりに客が訪れていたのを覚えている。
家を出るまでは配膳を手伝っていた。
仕込みの段階でも野菜を切ったり、スープのベースを作ったり
「何が受け入れられないんだ?って、これは聞いてもいいのかな」
遠慮がちに笑いながらノジェクが聞いた。
そう聞かれて改めて和解できない理由を考える。
多分・・・
決定的に相容れない部分が、肝心要の部分。
「うーん、これは小さなことだって笑うかもしれねぇが、俺にとっては大事な部分だ。」
わかっている
家業を継ぐのが嫌なんじゃない。
「味、だな。多分、ほんの少しのさじかげん程度のだがな。」
「ちっとも小さなことじゃないじゃないか。料理人にとっては大事だろ?」
さすがノジェクだ。旅路を共にする仲間でなくなってからも、俺をよく理解してくれる。
父親は厳しい料理人だ。
俺が12歳ぐらいの頃から本格的に料理を仕込み始めた。
少しでもヘマをやらかせば飛んでくるのは罵声。
罵声だけならまだしも、酷いときには調理器具が飛んでくることもあった。
皮肉にもそれは俺の反射神経を鍛えることになったのだが。
俺だって料理は嫌じゃない。
だが、毎日罵声を浴びせられてまで続けるだけの動機は無かった。
家を出る前に教わっていたのは
スープのベース作り。
様々な素材を煮込んで、そのエキスを得る。
そこに調味料の絶妙なバランス
その調味料のさじかげんで
いつだって大喧嘩。
親父はいつも決められたとおりの配合でいけ、と強く言った。
だが、俺はそんな枠に当てはめたような
いつも同じような味付けに疑問を持っていた。
だからその時々で味を変えてみたのだが
それは気に入らなかったらしい。
そして
それはお互い譲らなかった。
その結果、俺はケンカと罵声と束縛の日々から逃げ出したというわけだ。
「・・・オステットも大概ガンコものだけど、親父さんも血は争えないな。」
苦笑しながらノジェクは感想を述べた。
気がつけば、お互い酒の入ったグラスを机の上に放置していた。
真剣に話し合っているらしい。
どくどくと体中を廻る血液を感じながら俺も軽く笑う。
「実家にはもう帰らないのか?」
「・・・さあな。」
そんな選択肢はいつのまにか頭に無かった。
「実家に帰っても・・・だな。ノジェクはどうだ?帰ってみて。」
ノジェクは腕を軽く組んで椅子に深くもたれかかっている。
「そうだな、最初は凄く嫌だったが・・・段々そうでもなくなって、
結局これはこれでそれなりに楽しんでいる、かな?」
そういうものか、と天井を見上げる。
「オステットも一度、料理を久しぶりにやってみるといい。」
「料理を?」
そうだ、とノジェクは笑顔で頷いた。
「なんならうちの厨房で、今。」
予想外の申し出に俺は目を丸くした。
「今?」
「そう、今。ま、俺が単に酒のアテが欲しくなっただけなんだけどな」
と、ノジェクが楽しそうに言うから
酒の勢いで、俺は久しぶりに厨房へ入ることになった。
「酒のあて、って言ったって大したものはできないぞ?」
俺はいつの間にか厨房にあった素材を適当に選び
手元に並べている。
数種の野菜と魚の加工品、それからスパイス各種。
ノジェクは奇術をみるかのような楽しそうな顔をしている。
「何を作ってくれる?」
「俺が知っているのは野菜を使ったほんの前菜、そしてスープだけだ。」
左手にあるのは剣ではなく包丁。
意外にもしっくりきた。
案外忘れていないのはその手順と段取り。
夢中になって二品作り上げた。
野菜の煮たものと
スープだ。
ノジェクが何も言わずにそれを手にとって口に運んでいる。
そしてそのまま何も言わずに全て平らげて
「うん」
「こんなもんだ、俺が作れるのは。」
「いや、美味いよ?うちの厨房の料理人に教えてやりたいぐらいだ」
そうか?と俺も味見をする。
これは・・・
悔しいけれど
この配分は俺のオリジナルじゃなくて
身に染み付いた親父の配合具合の味。
故郷の、味。
「・・・たまの料理も悪くないな。」
そうだな、と頷くノジェク。
俺も自分で自分に頷く。
和解はまだ難しい気がするけど
枠に当てはめられたいつもの味だと罵っていたけれど
ほんの少し故郷が気になった。
2009.11.29
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